時代の一歩先を行く販売戦略で出荷数を伸ばし続ける 長野・遠藤酒造場

時代の一歩先を行く販売戦略で出荷数を伸ばし続ける 長野・遠藤酒造場

“日本酒ブーム”といえど、年々消費量は減り、各蔵の出荷数が減り続けるなか、18年連続で出荷数量を増やし続けている遠藤酒造場。35年前、わずか500石の出荷量だった蔵を受け継ぎ、現在5500石にまで増石、信州屈指の銘酒を生み出した遠藤社長に、これまでの歩みをお聞きしてきました。

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遠藤社長が自社の商品を次々と開発していたのには、ちょうどその頃、ディスカウントのチェーン店展開をする酒販店が増えてきた背景があります。

「お客さんが酒屋さんに勧められてお酒を買うのではなく、商品が並ぶ棚から自分で選んで買う時代に変化しているのを感じました。なので、ボトルへの首掛けやPOPでの商品説明などに力を入れました。ブランド力があればお客さんの手に取ってもらえる。商品のブランディングにも熱心に取り組みました」。

『渓流』のラインナップが年を追うごとに増えたことで、1998年からは18年連続で出荷数量を増やし続け、売り上げも順調に伸びているとか。日本酒の消費量が減少し、売り上げが低迷している時代にはかなり珍しいことですが、遠藤社長は、日本酒業界の先を見据えた展開を行ってきたからと語ります。

「今の世の中にぴったりのことをしていては遅いんです。次のチャネルの開拓、企画づくりを常に念頭に置いています」。
インターネット通販をいち早く行い、数年前からは社長自ら出演しTV通販も始めるなど、新たな分野にも積極的に参入しています。

お酒にはお客さんに商品をわかりやすく解説した首掛けを。

お酒にはお客さんに商品をわかりやすく解説した首掛けを。

大切なパートナーとの突然の別れ

「私がブランディングや企画に集中できたのは、何より勝山が旨い酒を造ってくれたから。彼はどんどん技術を高め、県内では誰もが知る名杜氏になってくれた。絶対的な信頼があったので酒造りは彼に一任していました」と遠藤社長。
しかし、2015年、勝山杜氏は病に倒れ、帰らぬ人に。

「二人三脚で立ち上げた『渓流』がたくさんの人に愛され、会社の業績が伸びたのは勝山のおかげ。彼にはただ、感謝の気持ちしかありません」。

3年前に亡くなった勝山敬三杜氏

3年前に亡くなった勝山敬三杜氏。県内で評判の名杜氏で、遠藤社長にとっては盟友であり、大切なビジネスパートナーでした。

勝山杜氏の想いを受け継いだ若き杜氏

勝山杜氏亡き後、杜氏に就任したのは入社10年目を迎える31歳の高野伸さん。勝山杜氏が亡くなる1年前に、マンツーマンで指導を受け、3年前から杜氏として酒造りを行っています。

「勝山杜氏には、とにかくどんな小さなミスでも見逃してはいけないと指導されました。それがやがて大きなミスに繋がるからと。“酒の一滴は血の一滴”というのもよくいわれた言葉です」。

長野県内の杜氏たちから慕われていた勝山杜氏の後任にはかなりのプレッシャーがあったと話す高野杜氏。重圧から、一度は杜氏を辞退したいと社長に相談したこともあったそうです。
「勝山さんの存在が大きすぎて自分ができるか不安になりました。社長が、“バックアップするから、まずは頑張ってみよう”といってくれたので心強かったです」。

3期の造りを経験し、今は杜氏としての自信もついてきたという高野杜氏。「甘くてコクがあって、口当たりがよいのがうちのお酒のよさだと思っています。できたてのフレッシュなお酒を届けたいという社長の方針もあって、生酒の比率が多いのも特長です。これからも長野らしさのあるお酒を造っていきたいです」。

高野伸杜氏

「酒造りはだいぶ大変です(笑)。でも、だからこそ楽しいです」。と語る高野伸杜氏。

年2回の蔵開きは須坂市の名イベントに

遠藤酒造場では毎年、春と秋の年2回、蔵開きのイベントを開催していますが、年々参加者が増え、今春の蔵開きでは3日間で3万5千人が来場し賑わいました。
「お酒を飲んでくれている人との接点を持ちたい」との遠藤社長の思いから2001年にスタートし、単独で3年ほど運営していましたが、4年目からは須坂市も後援となり、地域の飲食店も出店するなど、街を挙げての一大イベントとなりました。

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