最新設備を揃えてコンパクトに復活した 洛中最古の酒蔵・松井酒造

最新設備を揃えてコンパクトに復活した 洛中最古の酒蔵・松井酒造

京都の市街地で、マンションの1階、わずか40坪のスペースに醸造機器を揃え日本酒を醸す松井酒造。江戸時代に創業した洛中最古の老舗蔵は、今から10年前、約35年間途絶えていた酒造りを再開させました。酒蔵を復活し、観光客が多く訪れる酒蔵になるまでの歩みを15代目松井治右衛門さんにお聞きしました。

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江戸時代、兵庫県香住町にて創業 幕末に京都へ移転

松井酒造の始まりは1726年(享保11年)。
カニやイカで有名な日本海に面した街、但馬国城崎郡香住(現在の兵庫県香住町)で、松井家の4代目が酒造りをしていた記録が見つかったことから1726年を創業年としましたが、実際にはそれ以前から酒造りを行っていたといわれています。

かつて集落で水飢饉が起きた際、ご先祖が掘った井戸で村が救われたことから、古くから地元で唄われ続けている盆踊りの歌詞には「松井治右衛門」の言葉が記されていて、今でもその水は使用されているそうです。

盆踊りの歌詞には「松井治右衛門の作れしえもの心清める甘露水」と書かれています。

工事による水質への影響を恐れ、酒造りを断念

江戸末期に京都の中心部、河原町竹屋町へ移転。
良質な水に恵まれた京都の街では、染色業や豆腐屋など、水にまつわる多くの産業が発達しており、河原町竹屋町には松井酒造を含め、3軒の造り酒屋が並んでいたそうです。

大正11年に市電の開通に伴う拡幅工事のため、現在酒造りを行っている左京区吉田河原町へ。
敷地内に井戸を掘り、湧き出た水で酒造りを続けていましたが、45年程前、近くで京阪電車の延伸のための工事が始まることに。
井戸水の水質が変わることを懸念した先々代は、松井酒造としての酒造りを諦め、200年余り続いた松井酒造の酒造りに終止符を打つことを決断。
同じように酒造りを断念した3社の酒蔵と合同会社を設立し、伏見で酒造りを行う業態へと移行しました。

京阪電車 出町柳駅から徒歩10分の場所にある松井酒造。

父に突然告げられた“松井酒造の復活“

現在、松井酒造の15代目を務める松井治右衛門さんは、昭和53年生まれの41歳。地元の高校を卒業後、東京の大学へ進学し、その後は大学院へ。
卒業後の進路を考えていた頃、父・八束穂(やつかほ)氏から、思いがけない連絡を受けました。

(松井さん)ある時、父から「酒蔵を復活させるから京都で一緒に酒造りをするぞ」との連絡を受けました。話を聞くと、もう定期預金も解約して準備の段階に入っていて(笑)。
決めたことを必ず実行する父の性格もわかっていたので、「これは京都に戻らなくてはならないな」と思いました。

ただ、自分は両親に「好きなことを勉強していい」と自由にさせてもらって、興味があった法学部へ進み、ずっと法律の勉強をしていたので、酒造りはおろか、日本酒がどういうものなのか、まったくわかりませんでした。生まれた頃には実家はもう酒蔵ではなかったので、酒蔵で働くイメージも正直湧きませんでしたね。

「学生時代は日本酒と焼酎の区別もつかなったほど日本酒のことを知らなかったんです(笑)」と話す松井さん。

伏見の大手メーカーで修行、能登杜氏の師匠との出会い

京都へ戻った松井さんは、社長が大学の先輩だった縁で伏見にある黄桜株式会社で修行を始めました。また、さまざまな酒造りに関する教本を取り寄せ、日本酒についての勉強に没頭しました。

酒造りを休止した後、酒蔵があった場所には八束穂氏がオーナーのマンションが建てられ、上の階には住人もいましたが、1階部分を酒蔵に改装。
醸造設備が整い、修行を終えた松井さんはいよいよ酒造りを始めることになりましたが、そこで、ある名杜氏に指導を仰ぎました。

マンションの1階部分に酒蔵とテイスティングルームを完備した松井酒造。

(松井さん)黄桜さんはかなり大きな規模で酒造りをしていますが、私は「三栖蔵」とよばれる手造りで酒を造る蔵で、酒造りの一通りを学ばせてもらいました。大手の酒蔵らしく工程ごとの分業制でしたが、全部を経験させてもらいました。実際にお酒ができるまでの工程を知ると、これらをすべてこれからやっていくのかと思い少し不安になりましたね(笑)。

松井酒造の醸造設備の準備が思ったより早く進み、酒造りができるようになったので、黄桜さんでの修行は1年で終えました。酒造りをするには、やはり杜氏が必要でしたので、黄桜さんで出品酒の指導を行っていた縁で知り合った、石川県の宗玄酒造さんで杜氏を務めた道高良造さんにお願いして来ていただきました。
最初は道高さんの動きを真似ることしかできませんでしたが、家庭教師のように、つきっきりで酒造りを教えてもらいました。

「酒造りの現場にすべての答えがあるから、心配事があったらとにかく醪(もろみ)を見ろ」とよくいわれましたが、「どんな小さな異変も見落とさずすぐに気づけるように、醪から目を離すな」と教わったことは今でも肝に銘じています。酒造りの奥深さを教えてもらい、私にとって大切な師匠です。

微生物との対話を大切にする松井さん。
「鏡のように自分の姿勢が正直に返ってきます」。

「短所は長所に」ここでしかできない酒造りを

酒蔵の広さは40坪。マンションの1階部分での酒造りは全国的に見ても珍しく、新しいスタイルですが、松井さんは、近代的な設備を整えた現代の酒蔵らしい環境のなかで、伝統的な製法や味わいを大切にした日本酒を醸しています。

(松井さん)この広さで酒造りをすることになり、同じような環境の酒蔵をいくつか見学させてもらったのですが、マンションの地下で造っている広島の原本店さんなど、レベルが高いおいしい日本酒が造られているのを知って、酒蔵の広さに関わらず、“熱意と工夫”があれば、おいしいお酒はできると思いました。

微生物を扱う酒造りに大切なのは、「温度管理」と「衛生管理」。これは品質に大きく影響しますが、人間の管理では限界がある部分も、機械は徹底してくれるので、温度管理に関しては機械でコントロールして、年間を通してお酒を造っています。
また、この広さは掃除がしやすいので衛生管理が行き届きます。まさに、「短所を長所に」ですね。

コンパクトな酒蔵内は清掃が行き届き、きれいに整っています。

衛生面を考慮してステンレス製の麹室に。

(松井さん)1年中タンクなどの温度管理をしていることもあって、かなりの電力を消費してしまうのですが、環境への負担を考え、太陽光発電で半分くらいの電力をまかなっています。
お酒のボトルには「美酒如日輪(びしゅにちりんのごとし)」の封緘をしていますが、これは太陽光発電の意味も含んでいます。

「太陽のような美酒」の意味を持つ「美酒如日輪」はボトルの封緘にも。

香りと味わい、どちらも重視した酒「神蔵」

2009年に道高杜氏とともに生み出した酒は「神蔵」と命名。3年ほど指導を受け、2012年からは松井さんが杜氏となり酒造りを行っています。

(松井さん)日本酒は、香りなら大吟醸、味わいなら純米酒のように、それぞれ別のタイプのお酒になっていますが、私は香りも味も不可分一体で、分けては考えられないと思うんです。どちらも感じられる酒を造りたい。ですから、大吟醸には味を、純米酒には香りを出すことを意識して造っています。

昔の蔵人たちは、『人間の力が到底及ばない微生物たちの奇跡』を、酒造りで目の当たりにしてきたと思いますが、それは“神様からのいただきもの”ではないかと思うんです。その謙虚な気持ちを忘れずにいたいという思いから、酒名は「神蔵(かぐら)」と名付け、松井酒造の代表銘柄になりました。

低温でゆっくり時間をかけて発酵した「神蔵」は、上品な吟醸香と米の旨味を感じる酒で人気です。

外国人で賑わうテイスティングルーム「酒中仙」

酒蔵にはテイスティングルームの「酒中仙」があり、ここでは有料でお酒をテイスティングできるほか、アパレル商品やグッズの販売も行っていて、連日、地元の方たちや観光客で賑わっています。

(松井さん)京都の地の利もあって、多くの旅行客の方に来ていただいています。英語で解説をする酒蔵内の見学も受け付けていますが、ワイン文化に馴染みの深い欧米人の方たちは、「お酒は文化」という認識があってとても興味を持ってくれますね。

お酒のほか、おつまみや粕汁なども味わえる「酒中仙」。

酒蔵の内部は見学も可能。酒中仙ではライブ映像でも見られます。

来訪客の居住地にシールを貼ってもらっている世界地図。

(松井さん)見学の時に話す日本酒の製造法の「並行複発酵」を英語表記した文字が書かれたTシャツなどの販売をしていますが、酒造りのストーリーが語られていてお土産に人気です。重たくて割れる心配があるお酒と違って、“軽くて割れない“と喜ばれています。

「並行複発酵」が英語表記されたキャップやTシャツ。

アルコール発酵の化学式が刺繍されたパーカーも人気の商品。

(松井さん)想像していた職業とまったく違う業種に就くことになりましたが、酒造りは自分が造ったものが評価された時の悦びがあって、“ものづくりの達成感”を感じられます。

農学部や経済学部出身の蔵元は多いと思いますが、お酒を法律の側面から語れる蔵元は、ほかにはいないのではないでしょうか(笑)。酒税法の解説をしながらお客さんにお酒の話をすると、みなさん興味を持って聞いてくれますね。

2018年に代表取締役に就任したのを機に、本名の成樹(しげき)という名前から、代々当主が受け継いできた「治右衛門(じえもん)」を襲名しました。
自分のなかで、この酒造りの世界で生きていく覚悟ができたと思います。
国内外問わず、京都の松井酒造のお酒を多くの人に知ってもらって評価をいただきたけるよう、これからも頑張っていきます。

生産本数が少なく約90%が京都府内での流通とあって、なかなかお目にかかれない幻の酒「神蔵」。
小さく復活した酒蔵が、多くの方たちに味わってもらえる酒を造る大きな酒蔵に進化していく今後がたのしみです。

松井酒造株式会社
京都市左京区吉田河原町1−6
http://matsuishuzo.com

テイスティングルーム「酒中仙」
月〜土(日・祝休) 9:00〜18:00

ライタープロフィール

阿部ちあき

日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会認定 きき酒師 日本酒・焼酎ナビゲーター公認講師
全日本ソムリエ連盟認定 ワインコーディネーター

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