“秋田流生酛造り”を生み出した、酒は天下の太平山「小玉醸造」

“秋田流生酛造り”を生み出した、酒は天下の太平山「小玉醸造」

明治12年に味噌・醤油事業で創業した小玉醸造は、大正2年、日本酒蔵として酒造りを開始しました。またたく間に秋田を代表する銘酒となった「太平山」のこれまでの歩みは、秋田の日本酒業界の歴史そのものと重なる部分が多くありました。

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小玉醸造の社長として、酒造組合の会長として

小玉醸造五代目社長を務める小玉真一郎さん。秋田県酒造組合の会長でもあります。

秋田流生酛づくり=太平山流生酛づくり

小玉醸造の酒造りを語る上で、欠かすことができないのが、「秋田流生酛づくり」。日本酒を製造する工程で、アルコール発酵を行う「酵母」を増殖させるための「酒母(酛)づくり」には、大きく分けて二つの手法があり、一般的には「速醸酛」で造られることが多いのですが、小玉醸造では時間をかけて造る「生酛」の手法でも酒造りを行っています。

さらにその製法も個性的。通常の「生酛造り」は、蒸米に麹と水を合わせたものを「半切桶」という小さめの桶に入れ、櫂棒(かいぼう)と呼ばれる道具で、麹菌を米に付着させるためにすり潰す作業(山卸し)を行いますが、小玉醸造では、その際に「電動ドリル」を使用する方法を生み出しました。

「創業者の小玉久米之助の孫にあたる、酵母の研究の第一人者だった小玉健吉氏が考案しました。半切桶に入れて小分けにして行っていた山卸しの作業を、大きなタンクに入れ電動ドリルですり潰すことによって、空気に触れる箇所が少なくなることから雑菌が入るリスクが減り、安全できれいな酒母が完成するのです」と小玉社長。この手法は、健吉氏が直接指導に赴いた他県の蔵にも伝わり、現在でも国内の数蔵で取り入れられています。

秋田流生酛づくり=太平山流生酛づくり

電気ドリルを使用して酒米をすり潰す「秋田流生酛づくり」。

秋田流生酛づくり=太平山流生酛づくり

電気ドリルを使用することで、雑菌が少なく粘りのある酒母(酛)ができるのが特長。

太平山一筋42年のベテラン杜氏

酒造りのリーダーである杜氏(最高製造責任者)を務める猿田修さんは61歳。高校を卒業後に小玉醸造に入社し、今年で42年目になります。11年前、杜氏への打診があった時には、先輩や同期もいたことから「自分が杜氏にならなくても」と、一度は辞退を伝えましたが、社長からの強い説得もあり引き受けることに。

「最初の3年は自分で造ったというより、先輩たちが造ってきた歴史に造らされていたような感じでした。毎日が無我夢中で、ほとんどあの頃の記憶は残っていないです(笑)」と当時の様子を語ってくれました。その努力が実り、就任から3期連続で全国新酒鑑評会の金賞を受賞。「造りは、どの工程も絶対に妥協しない気持ちで取り組んでいます」と猿田さん。

とくに、麹づくりは杜氏に就任するまで長く担当し、30年以上携わっていたこともあり、思い入れもひとしお。「麹は酒の味の7~8割を決める部分なので、神経を集中させて向き合っています。製造には自動製麹機を使用することもありますが、機械に任せきりにするのではなく、手動で設定をコントロールするなど、微生物の状態を見極めながら使用しています」。と語ってくれました。

機械を上手に使いこなすのも技術の高さのひとつ。高品質のものを大量に製造できるのが、猿田杜氏率いる小玉醸造の製造チームの強みでもあります。

太平山一筋42年のベテラン杜氏

レスリング選手だった猿田杜氏。かつて、小玉醸造にはレスリング部が存在し、オリンピック選手を輩出するなど、実業団チームとして本格的に活動していた時代があったそうです。

「選ばれるブランド」であり続けるために

近年は北米やアジアへの輸出が増え、国内のみならず海外で開催される日本酒のコンテストでも優秀な成績を修めています。今後、さらに海外への出荷数は伸びていくことが予想されますが、小玉社長は「海外市場は大切にしていきたい」と話していました。
そして、ご自身が大学時代に経験した “酒を選んで飲むたのしさ”を、立場が変わって、逆に「あの酒はおいしい」と“選ばれるブランド”であり続けたいと語ってくれました。

明治時代に味噌・醤油の醸造からスタートし、日本の伝統的な食材を造り続けてきた小玉醸造は、今後も、秋田の豊かな風土で育まれた自然の恵みで、日本の食文化を支え続けます。

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