黒千代香(くろぢょか)に魅せられて、鹿児島のつくり手たちに会いに行く(後編)

黒千代香(くろぢょか)に魅せられて、鹿児島のつくり手たちに会いに行く(後編)

黒千代香(くろぢょか)は、鹿児島で古くから愛され、飲まれ続けてきた焼酎をたのしむための酒器です。その美しさに魅かれて、この酒器の製作に力を注ぐ4つの窯元を訪ねました。そのうちの2つの窯元を紹介した前編に続き、後編では、残る2つの窯元を紹介します。

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黒千代香(くろぢょか)に魅せられて、鹿児島のつくり手たちに会いに行く(前編)

流行を追わない、オリジナリティにこだわる「日置南洲窯」

「日置南洲窯」のギャラリー内に展示された作品。さまざまな技法を駆使した個性あふれる作品が並んでいました。

「日置南洲窯」のギャラリー内に展示された作品。さまざまな技法を駆使した個性あふれる作品が並んでいました。

ものづくりの素材が「糸から土へ」と変わるだけ

焼き上がった作品を確認する西郷隆文さん。土にこだわり、土味をいかに表現するかに苦心されてきたと言います。

焼き上がった作品を確認する西郷隆文さん。土にこだわり、土味をいかに表現するかに苦心されてきたと言います。

「日置南洲窯」の代表を務める西郷隆文さんは、維新の三傑の一人であり、大河ドラマ「西郷どん(SEGODON)」でもお馴染みの西郷隆盛のひ孫にあたります。奈良に生まれ、幼少期を京都で暮らした隆文さんは、その後、鹿児島に移り、大学卒業まで過ごしました。卒業後は、上京してアパレルメーカーに就職。原糸メーカーがつくり出す糸を使ってデザインし、製品化するという仕事に携わっていました。その先のトレンドを予測して、売れ筋の商品を創り出す日々は、隆文さんにとって楽しく、充実した時間だったそうです。

そんな隆文さんの中学時代に美術教師をされていたのが、前編で紹介した「長太郎焼本窯」の有山長佑氏。長佑氏が日展に初入選した1970年、隆文さんは長佑氏に誘われて上野の美術館を訪ねます。そこに展示されていた作品は、それまで隆文さんがイメージしていた「焼き物」とはかけ離れたものばかり。斬新な色使いとデザインが施された陶芸作品を目にして、その存在感に心動かされたそうです。そして「鹿児島に帰って、うちの窯を手伝わないか」という有山長佑氏の誘いを受けて、陶芸の道を歩むことになりました。

「衣服をデザインするのも、陶芸作品をつくるのも、何もないところから新たなものを創造するということに変わりはない。素材が、糸から土に変わるだけですから。自分ならできるという根拠のない自信だけがありました(笑)」と、当時を振り返ります。

25歳の時に「長太郎焼本窯」に弟子入りし、土づくり、窯入れ、窯出し、釉薬の使い方など、薩摩焼の伝統技法を身をもって経験し、学んでいきました。

泣こかい 飛ぼかい 泣こよか ひっ飛べ

お母様の出である日置島津家の菩提寺、大乗寺跡に開設された「日置南洲窯」。

お母様の出である日置島津家の菩提寺、大乗寺跡に開設された「日置南洲窯」。

「泣こかい 飛ぼかい 泣こよか ひっ飛べ」とは、「ぐずぐずと迷っていないで、さっさと実行し」ろという意味で、薩摩藩独自の青少年育成制度であった郷中教育(ごじゅうきょういく)で教えられた言葉だそうです。「長太郎焼本窯」で5年間を過ごし、30歳を迎えようとする年に、隆文さんもこの言葉を思い起こし「ひっ飛んでみた」と言います。ついに独立して「日置南洲窯」を開いたのです。

「自分なりの作品づくりをしたいという強い想いがありました。独立して最初の10年は、とにかくガムシャラに、土にへばりつくように仕事をしましたね。修行時代に土づくりに力を入れてきたこともあり、釉薬を使わない焼き締めの技法による作品を多く手がけました。焼き締めの土味を出すために、良質な土を求めて種子島、屋久島、奄美大島を探索したことも。40を過ぎた頃には、たたきの技法を取り入れた作品づくりにも取り組みました。これが評価されて、生活もようやく楽になってきました」と、隆文さん。

その後も、「蛇蝎釉」を施した味わい深い作品や「陶胎漆器」という薩摩焼に漆を塗って仕上げる作品、さらには「シラスバルーン」という新しい素材を使った陶器づくりへの挑戦など、自ら率先して、薩摩焼の新たな可能性を追求してきました。

1997年、鹿児島県内65窯元の参加を得て「鹿児島県陶業協同組合」(現在は「鹿児島県薩摩焼協同組合」に改称)が結成され、隆文さんが初代理事長に。

「若い組合員に言い続けてきたのは『流行を追うのではなく、オリジナルにこだわりなさい』ということです。薩摩焼がさらなる評価を得るためには、どこにもない、そしてどこにも負けない新しい作品をつくり続け、陶芸家たちが切磋琢磨することが大切なんです」。

そして、それぞれ作風の異なる窯元同士が、その個性をぶつけ合い、しのぎを削ることで、やがては世界に通用する「薩摩焼ブランド」を確立できるのではないかと、とても期待しているそうです。

「黒千代香」という酒器に対する想いを語る

「黒千代香を使って焼酎をたのしむ文化を残していきたい」と語る隆文さん。

「黒千代香を使って焼酎をたのしむ文化を残していきたい」と語る隆文さん。

「長太郎焼本窯」で、5年間の修行時代を過ごした隆文さんにとって、「黒千代香」はとくに思い入れの深い酒器だとか。

「あの頃は、共に作業をする職人さんたちと、毎日のように黒千代香づくりに励んでいました。ろくろを挽く人、口や耳、足をつける人、釉薬をかける人など、多くの人の手が加わって、美しい酒器として仕上げられていく。それを間近で見てきた一人として、いまも黒千代香をつくり続けていますし、黒千代香を使って焼酎をたのしむという文化を残していきたいと思っています」と熱く語ってくださいました。

来客がある時には、数日前から焼酎を水で割って仕込んでおいて、黒千代香を使って人肌に温めて振る舞うというのが、鹿児島流のおもてなし。また、一日の仕事を終えた自分へのご褒美として、明日へのエネルギー源として、焼酎をいただくという文化もあります。

「一日を締めくくる一杯は、黒千代香を使って手酌でいただきたいですね」と隆文さん。そして、焼酎に合わせるおすすめの料理は、地鶏刺し。「玉ねぎとにんにく、しょうがを添えて味わってみてください」。

現在、隆文さんは、NPO法人「西郷隆盛公奉賛会」の理事長を務め、郷土鹿児島の歴史・文化・伝統の研究にも力を注いでいます。南洲翁・西郷隆盛公の月命日には、南洲神社の清掃活動を実施。隆文さんも、必ず参加しているそうです。

日置南洲窯
〒899-3101
鹿児島県日置市日吉町日置5679
TEL:099-292-3477

苗代川焼を受け継ぐ覚悟と情熱「荒木陶窯」

数多くの作品が展示された「荒木陶窯」の商品ギャラリー。黒千代香をはじめ、湯のみや皿、茶道具など、多種多様な器を展示されていますので、お気に入りの一品を見つけることができます。

数多くの作品が展示された「荒木陶窯」の商品ギャラリー。黒千代香をはじめ、湯のみや皿、茶道具など、多種多様な器を展示されていますので、お気に入りの一品を見つけることができます。

父のすすめで、彫刻家・柳原義達氏に師事

400年以上の歴史を受け継ぐ「荒木陶窯」は、多くの窯元が立ち並ぶ日置市の美山地区にあります。

400年以上の歴史を受け継ぐ「荒木陶窯」は、多くの窯元が立ち並ぶ日置市の美山地区にあります。

薩摩焼は、16世紀末に朝鮮半島から渡来した陶工たちが、その技術を薩摩藩内の各地に広めたことを起源としています。そんな陶工たちの一人、朴平意(ぱくへいい)氏が苗代川(現在の美山)に窯を築き、製陶をはじめたことから、この地で焼かれる陶器は「苗代川焼」と呼ばれてきました。

荒木家は朴家の末裔にあたり、「荒木陶窯」は苗代川焼伝統の技と心を現代に伝えています。そして今回、2000年に朴家15代を襲名した荒木秀樹さんに話を聞くことができました。

朴家14代・荒木幹二郎氏の長男として生まれた秀樹さんは、幼い頃からろくろを挽く幹二郎氏の背中を見て育ちました。「数々の受賞歴を持ち『現代の名工』にも選ばれた父を、すごい人だと思い、尊敬していました」と秀樹さん。

中学・高校と柔道に打ち込んできた秀樹さんですが、高校を卒業したら家業を継ごうと考えていたそう。そんな秀樹さんに、幹二郎氏は「息子を大学にやるのが夢だった。あの道標シリーズ※で有名な柳原義達先生のところに弟子入りできないか?」と望みを伝えました。秀樹さんは、その望みを叶えようと受験の準備を始め、めでたく、柳原先生が教える日本大学芸術学部彫刻科に入学することになったのです。
※道標シリーズ:鴉や鳩を題材とした柳原義達氏による一連の作品を「道標シリーズ」と呼んでいます。

東京で過ごした6年間(大学卒業後、研究課程に進む)は、秀樹さんにとってかけがえのない貴重な時間だったとか。「柳原先生をはじめ多くの彫刻家の先生方の指導を受け、彫刻家をめざす先輩たちからも多くを学ぶことができました。あの時代がなかったら、いまの自分はなかった。そう思えるほどに、考え方や生き方の幅が広がった時期でした」。

すっかり彫刻の魅力に取りつかれ、このまま帰らずに彫刻を続けたいと思ったこともあったそうです。それでも、幹二郎氏の元に戻り、家業を継ぐ意志を固めたのは、彫刻を真剣に学んだことで、幹二郎氏の仕事やその作品の価値が、ようやく理解できるようになったからだと言います。

苗代川焼の伝統を受け継ぎ、新しい伝統を創り出す

実際に、ろくろを挽く姿を見せていただきました。「ろくろは一気に引き上げる」という言葉通りに、わずか数分で、かたちが整えられていきました。

実際に、ろくろを挽く姿を見せていただきました。「ろくろは一気に引き上げる」という言葉通りに、わずか数分で、かたちが整えられていきました。

ある日、「荒木陶窯」の工房に入った秀樹さんは、幹二郎氏から「10kgの壺を、10個、夕方までに仕上げておいてくれ」という指示を出されたそうです。「どうやってつくればいいんだ?」と秀樹さんが問いただすと、幹二郎氏は「ゆうてなかったねえ、こうやればいい」と言って、秀樹さんの目の前でろくろで挽いてみせ、すぐに出かけてしまいました。秀樹さんは、残された幹二郎氏が挽いた壺の幅や深さを測りながら、見本通りになるように試行錯誤を繰り返し、夕方までに7個、翌日には残りの壺を仕上げたそうです。

その後も「菓子鉢を300個つくれ」「この高さの花瓶をつくれ」と難易度の高い指示が続き、それに必死で応える日々が続きました。

「考えてみれば、父は現場で技を盗んで覚えた人ですから、人に上手に教えることはできません。そして私は、人に教えられるのが大嫌いでしたから、そんなやり方がちょうどよかった。一つひとつハードルを越えることで自信が生まれ、それを積み重ねていくと、ものづくりのたのしさを実感できるようになりました。父は『俺はいまここにいる』ということを自分で挽いた作品で示し、『お前のやり方でここまで来い』と伝えたかったんだと思います」と秀樹さん。

ろくろを通して交わされた親子の対話によって、苗代川焼の伝統が受け継がれてきたということですね。

「小さい頃、親父と遊んだ記憶はほとんどありませんが、いま、一緒に仕事をしながら、親父に遊んでもらっているのかもしれません(笑)」という荒木秀樹さんの言葉がとても印象的。苦労したことも明るく笑顔で話してくれました。

「小さい頃、親父と遊んだ記憶はほとんどありませんが、いま、一緒に仕事をしながら、親父に遊んでもらっているのかもしれません(笑)」という荒木秀樹さんの言葉がとても印象的。苦労したことも明るく笑顔で話してくれました。

荒木幹二郎氏がそうしたように、秀樹さんも苗代川焼の白薩摩、黒薩摩によって日本工芸会の正会員として認定されることを目標にしてきました。そうでなければ、自分が鹿児島に帰って来た意味がないと考えていたからです。苗代川焼の伝統技法にこだわりながら、彫刻を学んで培った技術と感性を生かして、芸術性の高い作品づくりにも積極的に取り組んできました。そして、日本伝統工芸展に4回の入選を果たし、当初の目標を達成した頃から、幹二郎氏も秀樹さんの努力とその成果を認めてくれるようになったそうです。

2018年5月には、前述の西郷隆文さんが20年にわたって務めてきた「鹿児島県薩摩焼協同組合」の理事長に就任し、薩摩焼の振興と発展に努める立場となりました。組合員相互の信頼と連携を基礎に「薩摩焼ブランド」の確立と新たな伝統を創り出すという荒木秀樹さんの新たな挑戦が、始まったのです。

月を眺めながら、薩摩の焼酎を黒千代香で味わう

荒木陶窯の黒茶家(黒千代香)は、そのかたちが繊細で美しいばかりではなく、焼酎を温めてたのしむために、火に強い粘土を選んでつくられています。

荒木陶窯の黒茶家(黒千代香)は、そのかたちが繊細で美しいばかりではなく、焼酎を温めてたのしむために、火に強い粘土を選んでつくられています。

「茶家(ちょか)」とは、薩摩地方独特の呼び名で、土瓶や急須のこと。そして、焼酎をたのしむことに特化した茶家を、「黒茶家(黒千代香)」と呼んでいました。苗代川はもともと火に強い陶器の産地で、なかでも火に強い粘土を選んで荒木陶窯の黒茶家(黒千代香)はつくられています。

荒木秀樹さんのおすすめは、一晩以上前割りにした焼酎を、黒茶家(黒千代香)に7〜8分目くらい注ぎ入れ、弱火にかけて2〜3分温めるというたしなみ方。自身も仕事が終わると、七輪に火をおこし、ガランツ(イワシ類の天日干し)を炙りながら、その横で前割りにした焼酎を黒茶家(黒千代香)で温めていただいているそうです。

「つくり手から言わせると、この黒茶家(黒千代香)づくりは、けっして簡単なものではないんです」と秀樹さん。陶芸のさまざまな技術、要素が、黒茶家(黒千代香)づくりには必要で、あのそろばん玉のかたちをろくろで挽き上げるにも、熟練の技が必要とのこと。そうした技によって生まれる黒茶家(黒千代香)のデザインは、とても繊細で美しく、存在感があります。

「ショットバーを経営されている方が、黒茶家(黒千代香)を購入してくださったので、その店を訪ねてみたところ、カウンターから見える黒茶家(黒千代香)の佇まいがショットバーの雰囲気を引き立てていることに気づき、うれしくなりました」と秀樹さん。

「月を眺めながら、庭先でいただく人肌の焼酎は、格別ですよ。それに炙ったガランツがあれば、言うことはありません。虫の音を聞きながらのひとり酒。時にはギターを奏で、若い頃によく聞いたフォークソングを口ずさむこともあります。一日を締めくくる、至福のひと時ですね」。

ガランツを超える肴はありませんか?と聞くと「僕の友だちに甑島に実家がある人がいて、その家のおばあちゃんがつくってくる「いかの一夜干し」は最高でしたね。ちょっと炙って、割いていただく。と、もうたまりません」。
さて、秀樹さんの今夜の肴は、ガランツでしょうか? それともいかの一夜干しでしょうか。

荒木陶窯
〒899-2431
鹿児島県日置市東市来町美山1571
TEL:099-274-2733

今回、鹿児島でお会いした4人の陶芸家のみなさんは、それぞれに作風は異なるものの、薩摩焼を愛し、さらに発展させていこうという強い意志を持って、作品づくりに取り組まれていました。そして、4人に共通していたのは「黒千代香」という酒器について思い入れが深く、その魅力を熱心に語っていただきました。

読者のみなさんも、この機会に黒千代香を手に入れて、焼酎を前割りにして、たのしんでみてください。

黒千代香(くろぢょか)に魅せられて、鹿児島のつくり手たちに会いに行く(前編)

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