福岡の焼酎【紅乙女(べにおとめ)】女性創業者が育てた、幸せを招くごま焼酎
「紅乙女」は、嫁ぎ先の老舗蔵が不振にあえぐなか、65歳にして焼酎蔵として再建させ、一代で全国区の人気銘柄に育て上げた“ごま焼酎”。香水のような上品な香りをもつ「紅乙女」の魅力と、その生みの親である女性創業者の奮闘に迫ります。
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「紅乙女」は口にすると福がやってくる“口福祥酎(こうふくしょうちゅう)”
出典:紅乙女酒造サイト
「紅乙女」は、女性の発想から生まれた、女性にも人気のごま焼酎。その生みの親である故・林田春野氏が、福岡県久留米市で元禄12年(1699年)から続く地酒の蔵元、若竹屋酒造場に嫁いだのは、昭和5年(1930年)のことでした。
戦中から戦後にかけて、四人の子どもを育てながら蔵元の経営を支えてきた彼女でしたが、やがて洋酒ブームに押されて日本酒の売上は減少。他の蔵元と同様、若竹屋も経営不振に直面します。
夫が病に倒れるなか、春野氏は蔵元の再起を図るべく、「ウイスキーやブランデーに負けない日本の蒸留酒を造ろう」と焼酎造りに挑戦します。当時、焼酎といえば“安酒”のイメージが強く、清酒蔵としての伝統をもつ若竹屋酒造が造るには大きな抵抗がありました。そこで、昭和53年(1978年)、春野氏は65歳にして焼酎造りの別会社を立ち上げました。これが紅乙女酒造の創業です。
春野氏がめざしたのは、香水のような上品な香りをもつ焼酎。さまざまな材料で試行錯誤を繰り返すなか、たどりついたのが、ごま焼酎でした。口にすると福がやってくる口福祥酎「胡麻祥酎 紅乙女」と名づけた背景には、「焼酎を祝いの席でも飲んでもらえる高級なお酒にしたい」という、女性創業者の並々ならぬ想いがあったのです。
「紅乙女」がこだわる長期熟成
出典:紅乙女酒造サイト
「紅乙女」の魅力は、ごま焼酎ならではの上品なごまの風味。とはいえ、ごまは油の材料にもなるように、油分が強いため焼酎造りには向かないとされてきました。
そんな既成概念を覆したのが、紅乙女がこだわりをもつ長期熟成。ホーロータンクや樫樽のなかでじっくり熟成させることで、ごまの風味を活かしながらも、飲みやすい味わいに仕上がっています。
この製法を発見したのは、じつは偶然からだといいます。上品な香りを求めて思案を重ねるなか、麦焼酎にゴマ油を数滴たらしてみると、すばらしい風味が生まれました。しかし、残念ながら味が濃くて飲みづらく、諦めてタンクに入れたまま忘れてしまいました。
しばらく経ってから、放置されていたままの焼酎を飲んでみると、酒の質が変化して、驚くほどおいしくなっていたのです。「胡麻祥酎 紅乙女」誕生のきっかけになった瞬間です。
その後、カクテル「“舞”乙女」を契機として、全国に広がった紅乙女は海外にも輸出され、2009年のモンドコレクションで金賞に輝くなど、世界的な評価を獲得。2014年には九州を走る豪華列車「クルーズトレイン ななつ星in九州」の車内ドリンクとして採用されるほどに成長。幸福を呼ぶ酒を造るという春野氏の信念は、みごとに花開いたのです。
「紅乙女」の耳納(みのう)蒸留所限定酒とは?
出典:紅乙女酒造サイト
「紅乙女」は、現在、福岡県久留米市にある耳納(みのう)蒸溜所で造られています。
この蒸溜所を訪れると、新旧2つの蒸溜器を見ることができます。ひとつは、ごま焼酎造り用に特別に調整された蒸溜器。もうひとつが、創業者である林田春野氏が「洋酒に負けない蒸溜酒を造る」べく、フランスから輸入した「アランビック蒸溜器」です。
アランビック蒸溜器は、コニャックやブランデーの製造にも使用される伝統的な形状で、国内では非常に珍しいもの。この蒸溜器は、現在も創業者の精神を表す貴重な資料として、耳納蒸留所に保存されています。
それも展示用だけでなく、製造に耐えられる状態で維持されており、なんとこの蒸溜器で造った胡麻祥酎が、耳納蒸留所のショップ限定品として販売されています。
口にすると、荒削りな原酒のフレッシュ感や黒ごまの香ばしい香りそしてピリッとした刺激が、創業者の情熱とともに口のなかに広がります。
「紅乙女」は偶然から生まれた胡麻祥酎ですが、偶然に頼らない真剣な改良が加えられ、近年でも香りと口当たりが特徴的な「胡麻祥酎 紅乙女 祥(しょう)」といった新商品が生まれています。紅乙女は今も、創業者の熱い熱意とともに歩み続けているのです。
ごま焼酎の紅乙女酒造から、新しい「胡麻祥酎」が登場
製造元:株式会社紅乙女酒造
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