アメリカビールの奥深い歴史に迫る
アメリカビールの歴史は、17世紀にヨーロッパから伝えられたことに始まるとされています。その後、アメリカへの入植が盛んになるとともに普及が拡大。禁酒法の厳しい時代を経て、現在は世界を代表するビール大国として知られるようになっています。
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アメリカビールの起源はヨーロッパから
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アメリカビールの歴史は、アメリカという国の歴史そのもの。1620年にメイフラワー号に乗ってイギリスからアメリカ大陸に渡った最初の入植者である「ピルグリム・ファーザーズ」たちによって、アメリカにビールがもたらされたとされています。
この後ほどなくして、現在のニューヨークに小規模な醸造所が誕生していたようです。じつは、それ以前の北アメリカは酒造文化をもたない地域でした。ヨーロッパからの入植者が増加し、各地でビール造りが行われるようになって、ようやくアメリカの酒造りの歴史がスタートしたのです。
18世紀に起きた産業革命以降は、急激な都市化が進み、労働者のためのビジネスが発展し始めます。ビール産業もそのひとつで、それぞれの地域にビールの醸造所が誕生します。
こうしたビール醸造を事業として本格化させたのは、1830年以降に移民したドイツ系の人々でした。1840年にジョン・ワグナーがラガービールの製造を開始すると、それまでエール中心だったアメリカのビール造りが、ラガー中心へと変化していきました。
その後、19世紀後半に開拓時代を迎えたアメリカでは、安い蒸溜酒が広まり、アルコール依存症が社会問題となります。そのため、各地で禁酒運動が活発になり、1920年には禁酒法が成立。ビールは、“ニア・ビール”と呼ばれるアルコール度0.5%未満のもののみが製造、販売を許されました。
しかし、その後は密輸入や密造、地下酒場などが横行したことで禁酒法に批判が集まります。1932年には禁酒法廃止の第一弾としてアルコール度3.2%のビールが許可されますが、同年に禁酒法そのものが廃止になりました。
以降、第二次世界大戦後から現在に至るまで、「バドワイザー」や「ミラー」など、大手メーカーが製造、販売するビールが市場を占有する時代がやってきました。
アメリカビールの主役が大手メーカーだった時代
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アメリカのビールといえば、「バドワイザー」や「ミラー」「クアーズ」など、大手メーカーによるラガービールを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
通称「アメリカン・ラガー」とも呼ばれるこうしたビールは、炭酸ガスの含有量が多くてのどごしもよく、苦味も少ない下面発酵ビール(ラガー)のビールで、しっかり冷やしてのどの渇きを癒すスタイルのビールとして知られています。
こうした大手メーカーのビールが市場を席巻するようになったのは、禁酒法時代にさかのぼります。この時代、それまで全米で約1,200にもおよぶ中小規模の醸造所は、どこも危機的状況に陥ります。一部はノンアルコール・ビールなどで生き延びようとしたものの、多くは倒産にまで追い込まれました。
その後、各ビール会社が事業の存続のために吸収合併を繰り返した結果、大手メーカーのビールが市場をほぼ独占するようになったのです。
バドワイザー
「バドワイザー」は、1876年に創業したアンハイザー・ブッシュ社が製造、販売するアメリカを代表するビール。低温殺菌をいち早く取り入れ、冷蔵コンテナで全米にチルド輸送する体制を作り、1901年には全米首位のビールメーカーへと成長。禁酒法廃止後は、醸造所が廃れた地域に輸送力のあるバドワイザーが浸透していき、さらにシェアを高めます。
「バドワイザー」は、ピーチウッド(ブナ)を二次発酵に用いて熟成する、伝統的な「ピーチウッド製法」によって造られるビール。クリアな黄金色の色合いに、やさしい柑橘系の香り、苦味が少なく、ほんのり甘いスッキリした味わいが特徴の、初心者でも飲みやすいビールです。
ミラー・ライト
「ミラー・ライト」を生んだのは、1855年にウィスコンシン州ミルウォーキーで創業した老舗ブルワリー、ミラー社です。
1973年に「軽い」を意味する「Light」を「Lite」と表示した「ミラー・ライト」の製造、販売を開始。当時の低カロリーブームにのって人気を博し、バドワイザーと並ぶアメリカン・ラガーの代表銘柄に成長しました。
そのさわやかなのどごしから、スポーツ観戦やキャンプのお供として人気を集めています。