広島の日本酒【雨後の月(うごのつき):相原酒造】ロマンチックな酒名にふさわしい美酒
「雨後の月」を造る相原酒造は、広島県内では名醸地・西条と並ぶ酒造りの町、呉市の蔵元。明治初期の創業以来、品質第一の酒造りを続けてきました。ここでは、相原酒造の酒造りのこだわりや、代表銘柄「雨後の月」の魅力について紹介します。
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「雨後の月」の造り手は、呉の蔵元、相原酒造
出典:相原酒造サイト
相原酒造が蔵を構える呉市は、西条と並ぶ広島の銘醸地
「雨後の月」を醸す相原酒造は、広島県呉市を代表する蔵元のひとつ。呉市は、古くは軍港として栄えた地域ですが、広島県内では、灘や伏見と並んで“日本三大名醸地”に数えられる西条と並ぶ酒処としても知られています。
この地域の酒造りを大きく向上させたのが、安芸津出身の三浦仙三郎氏が明治時代に生み出した「軟水醸造法」でした。広島の水は、灘などの硬水とは異なり、ミネラルの少ない軟水ですが、この技術によって、西条や呉では軟水ならではの酒造りができるようになり、“広島の女酒”として全国的な名声を得るまでになりました。
「雨後の月」の蔵元、相原酒造の品質を重視した酒造り
「雨後の月」の蔵元、相原酒造は、明治8年(1875年)に創業し、明治中期には県内屈指の生産量を誇るまでに成長します。
戦時中には一時休業しますが、戦後になって酒造りを再開。純米酒や吟醸酒、大吟醸酒など高級酒造りへの取り組みをいち早く進めていきます。
昭和63年(1988年)に現当主の相原準一郎氏が4代目に就任すると、相原酒造は徹底した「品質第一」をめざす吟醸蔵として、新たなスタートを切りました。いまや広島県内でも屈指の吟醸蔵として知られています。
「雨後の月」の酒名は文豪・徳富蘆花の随筆に由来
出典:相原酒造サイト
「雨後の月」の酒名に込められた、澄んだ美しい酒という理想
「雨後の月」という酒名は、2代目当主の相原格氏が、徳冨蘆花の随筆小品集「自然と人生」の短編から命名したものです。明治から大正期に活躍した小説家である徳冨蘆花は、一時期、現在の呉周辺に住んでいたことがあったと言います。
「雨後の月」という酒名には、雨上がりの空に、光り輝く月が周りを明るく照らすような、澄み切った美しい酒を醸したいという蔵元の目標が示されているのだとか。
「雨後の月」は数々の品評会で賞に輝く
「雨後の月」を醸す相原酒造は、その酒名に込められた理想の姿を追い求めるとともに、広島杜氏が広島の米・水を用いて醸す、芳醇で香り高い“広島型”の酒を目標としてきました。
こうして造られる「雨後の月」は、全国的な評価も高く、地元の鑑評会のほか、雑誌「特選街」主催の「全国日本酒コンテスト」など、数々の品評会で賞を獲得。2021年の「全国新酒鑑評会」では、10年連続となる金賞を獲得するなど、広島を代表する銘柄として全国区の人気を博しています。
「雨後の月」の品質を支える、相原酒造のこだわり
出典:相原酒造サイト
「雨後の月」の味わいを生む酒造りの「3か条」
「雨後の月」を醸す相原酒造では、「おいしいと思うお酒のために真摯にお酒を醸す」ことを信条に、以下のような酒造りの「3か条」を掲げています。
【大吟醸造りで醸す】
相原酒造では、量や効率よりも「どうすればよい酒になるか」を重視し、手間暇のかかる大吟醸造りを全製品に施しています。
【全品を冷蔵保存する】
醸した後の日本酒を低温でじっくり熟成させるため、全製品を専用の冷蔵庫でていねいに保存しています。
【最上の原料を使う】
最高峰の酒造好適米を厳選して使用し、仁方(にがた)の名水で醸し出すことで、「雨後の月」の味わいが生み出されています。
「雨後の月」はさっぱりとした食事に合わせるのがおすすめ
「雨後の月」は、さっぱりとした食事によく合う日本酒です。豆腐や塩でいただく天ぷら、かまぼこ、鯛、白身魚の塩焼きなどと合わせることで、いっそうおいしくいただくことができるでしょう。
なお、「雨後の月」を最高の状態で味わうために、相原酒造では、必ず冷蔵保存し、低温でじっくりと熟成させることを推奨しています。
「雨後の月」で知られる相原酒造は、酒処として知られる広島県で品質にこだわる酒造りを貫いてきた蔵元です。手間暇を惜しまず丹精込めて醸された蔵元の力作を味わってみてはいかがでしょうか。
製造元:相原酒造株式会社
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