兵庫の日本酒【菊正宗(きくまさむね)】“辛口ひとすじ”を貫く信念の酒
「菊正宗」は、江戸時代の前期、徳川4代将軍家綱の時代から造られてきた歴史ある銘柄で、現在も日本有数の銘醸地・灘を代表する銘酒のひとつとして知られています。ここでは、360年にわたって“本流辛口”の味わいを守り続ける「菊正宗」の歴史と魅力、新たな挑戦について紹介します。
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「菊正宗」が歩んだ360年にわたる歴史
出典:菊正宗酒造サイト
「菊正宗」は灘を代表する酒のひとつとして発展
「菊正宗」の歴史は、江戸時代前期の万治2年(1659年)、徳川4代将軍家綱の時代まで遡ります。当時、材木商を営んでいた嘉納治郎太夫宗徳が、神戸の御影(みかげ)の地に酒蔵を建て、酒造りをスタートしました。
御影を含む灘地方が銘醸地として知られるようになったのは、江戸時代後期のこと。丹波杜氏(たんばとうじ)による高度な酒造技術と「宮水(みやみず)」と呼ばれる良質な湧き水を活かした灘の酒は、上方(かみがた)から江戸に運ばれる「下(くだ)り酒」として絶大な人気を誇るようになりました。
「菊正宗」を商標登録し、近代醸造の礎を築く
「菊正宗」を生んだ嘉納家には先見の明があり、明治維新による新時代の到来を迎えて、いち早く近代化に取り組みます。
明治10年(1877年)にはイギリスへの輸出を開始。明治19年(1886年)には「菊正宗」を商標登録し、海外の先進技術を導入して品質改善に取り組みます。ドイツ製の顕微鏡や、断熱効果の高いレンガ造りの酒蔵など、最先端の設備を導入して品質を高めた結果、大正7年(1918年)に宮内省御用達を拝命します。
その後、第二次世界大戦中に酒蔵を焼失するといった苦難もありましたが、戦後には復興を遂げ、「菊正宗」は今日までトップブランドとして発展を続けてきました。
「菊正宗」がこだわる本流辛口の酒とは?
出典:菊正宗酒造サイト
「菊正宗」は流行に迎合せず独自の本流辛口を貫く
「菊正宗」は、「飲み飽きせず、料理を引き立てる日本酒こそ本流である」との信念にもとづき醸される酒。江戸時代から伝わる「生酛造り」ならではの、雑味のないすっきりとした味わいと、キレのあるのどごしが特徴の辛口酒です。
「菊正宗」の辛口へのこだわりは創業当時から一貫しており、戦後の甘口ブームの時代にも、流行におもねることなく、常に独自の“本流辛口”を追求してきました。
濃醇かつ辛口の味わい深い日本酒である「生酛」を知る
「菊正宗」の本流辛口の味わいは料理を引き立てる
「菊正宗」の辛口は、後味が残らず、料理の味わいを損ないのが魅力。どんな料理にもよく合い、素材の魅力を引き立てることから、そばや刺身、寿司などの日本料理をはじめ、洋食や中華料理と合わせてもたのしめる「食中酒」として、広く愛されています。
「菊正宗」の品質を支える契約農家「嘉納会」
出典:菊正宗酒造サイト
「菊正宗」は契約農家が作る良質な「山田錦」を使用
「酒造りは米作りから」と言われるほど、酒造りにおいてお米は重要なもの。「菊正宗」の原料米は、酒造好適米のなかでも最高峰とされる「山田錦」です。
山田錦は、栽培が非常に難しいことでも知られています。そのため菊正宗酒造では、明治24年(1891年)から兵庫県三木市吉川特A地区の農家による契約栽培を開始。現在では「嘉納会」と呼ばれるこの契約栽培組織によって、良質な山田錦が安定的に供給されています。
1世紀を越える嘉納会の活動は、菊正宗酒造の原料米へのこだわりの強さを雄弁に物語っています。
「菊正宗」の化粧品に女性から熱い注目が!
出典:菊正宗酒造サイト
菊正宗酒造の挑戦は、酒造りの枠を超えて
菊正宗酒造では、日本酒の品質向上を図るための研究機関として、昭和63年(1988年)に「菊正宗酒造総合研究所」を設立しました。
この研究所では、現在では日本酒だけでなく食品全般、さらには日本酒の成分を活かした化粧品に関する研究開発も行われています。
2010年には、日本酒を90%使用した液体タイプの入浴料「美人酒風呂」を発売。これを皮切りに、日本酒を配合したスキンケア商品を続々と生み出し、“美”を求める女性から大きな注目を集めています。
江戸時代前期に創業し、伝統の本流辛口の味わいを守りながら常に発展を続けてきた「菊正宗」は、現在、酒造りの枠を超えてさらなる飛躍を遂げようとしています。日本有数のブランドである「菊正宗」の新たな挑戦に、今後も注目していきたいですね。
製造元:菊正宗酒造株式会社
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