<新潟ワインコースト探訪その③> “次男”から“四男”の3ワイナリーの誕生秘話と醸造哲学

<新潟ワインコースト探訪その③> “次男”から“四男”の3ワイナリーの誕生秘話と醸造哲学

今注目の日本のワイン産地“新潟ワインコースト”。角田浜(かくだはま)周辺で営みを始めた『カーブドッチワイナリー』を“親”として誕生したのが、4軒のワイナリー。前回の“長男”『フェルミエ』に続き、今回は“次男”『ドメーヌ・ショオ』・“三男”『カンティーナ・ジーオセット』・“四男”『ルサンクワイナリー』を訪ねました。

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新潟ワインコーストの生い立ちをおさらい

新潟ワインコーストの生い立ちをおさらい

日本海から1㎞ほどしか離れていないブドウ畑。昼は海風、夜は陸風が吹き、醸造用ブドウの栽培に適しています。

新潟ワインコーストが展開しているのは、角田浜海水浴場に近い丘陵地。新潟市の中心部から車で30分程とアクセスが便利なエリアです。現在こちらで営んでいるのは、5軒のワイナリーで、それぞれこだわりを持った個性的なワインを醸しています。

この革新的なワイン産地のパイオニアが、1992年創業のカーブドッチワイナリー。「“国産生ブドウ100%、かつ欧州系のワイン専用種100%のワインを造る”」という当時の日本ワインの状況では考えられなかった壮大な目標を掲げて、スタートしたのです。

その後、40種類以上ものブドウを植樹、現在も20種類以上のブドウを育てていますが、2005年に適正品種と断じる「アルバリーニョ」に巡り合います。ワイナリーの営みを支える品種ができたことで、角田浜をワイン産地にしたいと考えてきたカーブドッチワイナリーは、次のステップへと進むことにしました。

それは“仲間”を集めること。単一のワイナリーだけでは“産地”を形成することはできないと考えて、志を同じくする造り手を求めたのです。そのきっかけとして自ら主宰したのが、「ワイナリー経営塾」。たとえ業界の経験がなくても、ワイン造りを生業にしたいという熱意のある人と、マンツーマンでブドウの栽培からワイン醸造をともにすることで、開業をアシストしてきました。

その結果、2006年には前回紹介した『フェルミエ』、さらに『ドメーヌ・ショオ』『カンティーナ・ジーオセット』『ルサンクワイナリー』と、強い絆で結ばれたワイナリーが続々とオープン。現在は、親である『カーブドッチワイナリー』と合わせて、5軒のワイナリーがまるで家族のように寄り添い合い、新潟ワインコーストの発展に尽力しています。

新潟ワインコーストの入口の看板には、産みの親であるカーブドッチワイナリーはじめ5つのワイナリーの名が掲げられています。

新潟ワインコーストの入口の看板には、産みの親であるカーブドッチワイナリーはじめ5つのワイナリーの名が掲げられています。

コースト内のマップ。やがて末っ子のルサンクワイナリーの外観も大きく入ることでしょう。

コースト内のマップ。やがて末っ子のルサンクワイナリーの外観も大きく入ることでしょう。

新潟ワインコーストの詳細はこちら

2011年創業/ドメーヌ・ショオ

国産ブドウ100%のワインを、ご夫婦で造っています。

国産ブドウ100%のワインを、ご夫婦で造っています。

「初めてワインを造ったのは大学生の時です」と小林英雄(こばやし・ひでお)さん。2008年からワイナリー経営塾で学び、2011年に開業した“次男”ドメーヌ・ショオの当主です。大学では生物資源学、大学院では地球環境科学を学び、意識していたテーマは“海”と“酒”。一見つながりのないように見えますが、「微生物が主というところで共通しているんですよ(笑)」。

神奈川県・横須賀市にある『JAMSTEC』(国立研究開発法人海洋研究開発機構)などで、研究開発に携わっていくことも考えたそうですが、在学中にオーストラリアのワイナリーで住み込みバイトをするなど、ワインに触れた楽しさが忘れられず、ワイン造りをやることを決意したのだとか。

ここで普通ならどこかのワイナリーに弟子入りという流れですが、小林さんは特異な行動に出ます。「まずビジネスコンサルト会社に勤めて、コンサルティング業務に携わったんです」。継続してワイナリーを営んでいくために、ビジネス感覚を身に着けておくことが大切だと考えたからでした。

思いついたことを実践することを繰り返す日々だが、「毎日が休日ぐらいに楽しいです」。

思いついたことを実践することを繰り返す日々だが、「毎日が休日ぐらいに楽しいです」。

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