「黒牛(くろうし)」名手酒造店が贈る万葉集に登場する地名を冠した酒【和歌山の日本酒】
「黒牛」は、和歌山県随一の清酒の産地、海南市にある名手酒造店の代表銘柄です。幕末に創業した名手酒造店は、戦後に高品質路線へと転換。現在は「黒牛」をはじめ純米酒に特化した酒造りを行っています。ここでは、「黒牛」の魅力や、蔵元の歩みについて紹介します。
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「黒牛」を造る名手酒造店は紀州を代表する純米蔵
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「黒牛」の蔵元は幕末に酒造りを開始
「黒牛」の造り手である名手酒造店の創業者、名手源兵衛氏が現在の和歌山県海南市にある黒江の地で酒造りを始めたのは、幕末も押し迫った慶応2年(1866年)のことでした。
農家に生まれた源兵衛氏は、肥料商での奉公の後、ロウソク製造を始めるも失敗。その後、現在の蔵近くにあった江戸時代前期から続く酒蔵を買い取り、酒造業を開始しました。
当時の黒江で栄えていた紀州漆器の職人たちを顧客とする酒造りは成功を収め、現在へと続く名手酒造店の歴史がスタートしたのです。
和歌山県有数の蔵元としての繁栄と苦難の歴史
その後、明治7年(1874年)に現在の場所に蔵を移した名手酒造店は、一時は県下最大の生産量を誇るまでに発展。塩田開発や農地開発、海運業など幅広い分野に事業を拡大しましたが、第二次世界大戦と戦後の農地改革により、酒造業を除くすべての事業を失ってしまいました。
再び酒造業に専念することとなった名手酒造店ですが、清酒産業の将来性への疑問から、その後の高度成長期においても、あえて事業規模を拡大しませんでした。そのため、生産量では拡大指向のメーカーに差をつけられたものの、小規模生産を維持したことが、後の品質指向への方針転換を容易にしたとも言えます。
「黒牛」などの純米酒に特化した高品質路線へ舵を切る
昭和59年(1984年)、江戸期以来の酒造道具や資料などを整理・展示した「酒づくり資料館 温故伝承館」を開設したのを機に、名手酒造店は、徹底的な高品質路線に舵を切ります。
小規模さを活かし、「黒牛」をはじめ純米酒に特化した、きめ細かな酒造りに注力することで、今では和歌山県屈指の純米蔵として知られています。
「黒牛」は自家精米を和歌山の名水で仕込んだ純米酒
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「黒牛」は地元の名勝に由来する銘柄
「黒牛」は、名手酒造店の純米酒路線を象徴する銘柄として1990年に発売されました。
「黒牛」という酒名は、名手酒造店が蔵を構える海南市黒江の名勝に由来します。この地はかつて美しい入り江で、黒い大きな牛のような岩が見られたことから「黒牛潟」と呼ばれ、『万葉集』の柿本人麻呂の和歌にも詠われています。
「黒牛」には、地元の伝承を背負う覚悟と、“万葉の昔を偲ぶまろやかな味わい”をめざすという姿勢が込められているのです。
「黒牛」は自家精米した米を名水で醸した酒
「黒牛」は、和歌山県名水50選に選ばれる「万葉黒牛の水」と同水脈の井戸水を仕込み水に使用。やや硬質な水が、飲み応えのある酒質を実現しています。また、優良産地から確保した米をていねいに自家精米することで、米の旨味をしっかり引き出しています。
水と米にこだわり、純米酒ならではの味わいを大切にした「黒牛」は、小規模製造のため蔵元直送のみでの流通ながら、発売開始から数年後には全国的な知名度を持つまでに成長。それまでの主力であった「菊御代」を超える代表銘柄となりました。
「黒牛」がめざす、醸造地としての和歌山の地位向上
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「黒牛」の蔵元が和歌山県産の酒造好適米の契約栽培を開始
「黒牛」の蔵元、名手酒造店では、地域の環境や伝統文化を守り、地域とともに繁栄することを指針としています。その一環として、酒造りを通じて地域産業の発展にも貢献したいとの想いから、地元・和歌山県内での酒造好適米の栽培にも取り組んでいます。
和歌山県は台風が多いため稲作が盛んではありませんでしたが、名手酒造店は台風に強い酒造好適米「美山錦」の栽培を米農家に依頼。こうして得られた県産米を、「黒牛」をはじめとした純米酒に優先して使用しました。
この取り組みに加わる農家や米流通会社が次第に増えていき、最近では「山田錦」などの銘柄も栽培されるまでになっています。
「黒牛」をはじめ、和歌山県の醸造地としての発展を意識した名手酒造店の高品質な酒造りは、年々、人気が高まっています。同社が生み出す和歌山県ならではの個性ある酒を、ぜひ味わってみてはいかがでしょうか。
製造元:株式会社名手酒造店
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