2021年より稼働予定、現在NYに酒蔵を建設中 〜「獺祭」蔵元・旭酒造の新たな挑戦〜
国内のみならず海外にも多くのファンを持つ日本酒「獺祭」。伝統的な酒造りの常識にとらわれず、常に新たな試みにチャレンジし続けてきた旭酒造の次の挑戦は、米ニューヨーク州の酒蔵の建設。「山口の山奥の小さな酒蔵」が、東京や海外に販路を開拓してきたこれまでの歩みや今後について、桜井会長にお話をうかがいました。
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「獺祭」が誕生するまで
山口県岩国市の山間の街で「獺祭」を醸す旭酒造。会長を務める桜井博志氏は、大学を卒業後、灘の大手清酒メーカーに勤務したのち、1976年に家業の旭酒造に入社するも、先代の父と経営方針をめぐり対立。別会社を設立し酒造業を離れていた1984年、先代の急逝によって旭酒造に復帰し社長に就任。その後、「獺祭」の開発を軸とした経営再建を図りました。
(桜井会長)日本酒の消費量は、1973年をピークに下降の一途をたどっていたので、このままではまずいという危機感がありました。自分は、先代の考える高度経済成長時代の成功体験をそのまま続けようとする経営方針に異論があり、意見が合わず退社しました。
その後は酒造業を離れ、石材の卸会社を経営していたのですが、先代の急逝で旭酒造の社長に就任することになったんです。
当時は代表銘柄が「旭富士」で普通酒の製造を中心に行っていましたが、そこからの脱却を図りいくつかの新銘柄をリリースするなどしました。しかし、最初は興味を持っていただいても、なかなかお客さんには定着せず苦戦しました。
当時の様子について語る、旭酒造 桜井博志会長
試行錯誤していたなかで「もっとシンプルな、高品質な商品を届けたい」「もっとよい酒を造ろう」との思いで生まれたのが「獺祭」です。最初は麹米に山田錦、掛米に五百万石や雄町などを合わせるなど、自分たちができる条件のなかで、よりおいしい味を出せるように工夫を続けていくうちに、やがて「山田錦」だけで造る酒になっていったんです。
いきなり完成度の高い酒を造ろうとするのは、やはり難しいですよね。そうすると、うまくできなくて、やれない理由を見つけて、結局今までと何も変わらず昨日と同じことをやればよいとなってしまう。なので、いきなり100点の酒を目指すのではなく、70点の酒を造り、そこから毎造りごとに少しずつ改善を繰り返して100点に近づけていく、自分たちはそういう気持ちで取り組んでいきましたね。
獺祭のフラッグシップとなる「純米大吟醸 磨き二割三分」
杜氏制度を廃止、データ管理で酒造りを
1990年代後半、旭酒造は地ビールレストランの経営に乗り出しますが、客足が伸びず経営難に陥り、1.9億円の損失を出し閉店。大きなダメージを受けるだけでなく会社の経営に不安を抱いた社員たちが去っていくという重大な事態に。しかし、発想を切り替え、他の酒蔵が取り入れていなかったデータを基にした酒造システムの構築を行うなど、新たな取り組みにチャレンジしました。
(桜井会長)酒造りを行わない夏場に稼動できる事業ということで“地ビール”の製造業を考え、地ビールレストランの経営を行ったのですが、当時の年商が2億円だったのに対して1.9億の損失を出してしまいました。業界内での噂を社員たちも耳にし、「うちの会社は危ないのではないか」と危機感を持った社員が辞めていきましたが、そのなかには杜氏も含まれていました。しかし、新たに別な杜氏を探すことはせず、「自分たちで造る」という方向に切り替えたんです。
発酵中の醪(もろみ)を攪拌する「櫂入れ」の様子
それまで、杜氏に酒造りについて意見しても、なかなか受け入れてもらえなかった現状があったので、造りたい酒を造れる快感とたのしさがありました。その結果「獺祭」の酒質向上の大きな転換点になったのも確かです。
優秀な杜氏さんは、ほとんどの人が酒造りをデータ化していると思うんです。過去の酒造りの経験値も、いうなれば貴重なデータ。杜氏がいない蔵というと珍しがられますが、私たちは、他の蔵では杜氏が把握している酒造りに必要なデータを、みんなで共有するやり方に変えただけなんです。
徹底した数値管理とデータ分析で酒造りを行う
東京市場の開拓、そして海外進出へ
品質にこだわった「獺祭」を主力商品にしたものの、地元山口県ではなかなか売り上げが伸びず、桜井会長は東京市場への進出を決意します。その後、最新機械の導入など設備投資を積極的に行い、より高品質の「獺祭」を生み出すとともに、酒蔵の製造設備を拡充していき、販路をさらに海外にも広げていきました。
(桜井会長)「獺祭」は、地元ではなかなか相手にしてもらえなかったんです。残念でしたが、小さな市場で努力しても結果はでないと思い、東京に販路を開拓しました。少しずつ売り上げが伸びていき手応えを感じて、やはり、お金がまわっていて経済が動いているところで売っていこうと思いましたね。
設備投資は惜しみなく行いました。「獺祭」はすべて純米大吟醸ですが、アルコール添加をしていない純米大吟醸酒は華やかな香りを出しにくかったんです。そこで、上槽(お酒を搾る工程)に「遠心分離機」を導入して、より香りを出せるように工夫しました。
また、空調設備も新調し、温度管理を徹底して、年間を通じて酒造りを行う「四季醸造」を始めて生産量を増やしました。
約15年前に四季醸造を始め、出荷数を伸ばし続けた
東京で結果を出した次のステップとして、海外に向けて舵を切ることを決め、米国へ販路を広げることにしました。海外の業者に任せっぱなしにしてしまう従来の日本酒蔵のやり方ではなく、私が自らアメリカに渡り、お客様を相手にカタコトの英語でお酒について話をしました。
自社のお酒を知り尽くした社長である自分が、直接話をすることが大切だと思ったんです。
現地の方は「Beautifull!」といって飲んでくれたのですが、それを見て安心したのを覚えています。やはり、「おいしい酒はおいしい」と思ってもらえるのだと。
2006年頃になると、長男の一宏(現・旭酒造代表取締役社長)が入社してくれたので、しばらくニューヨークに駐在して頑張ってもらいました。試行錯誤しながらも、海外で日本酒を売る努力と工夫をいろいろと重ねました。
ジョエル・ロブションとの出会い
ニューヨークでの「獺祭」の人気の高まりを受け、さらに世界に向けて日本酒を発信していこうと、2014年、フランス・パリでレストランを開店する計画が持ち上がりましたが、事情により頓挫してしまいます。しかし、その後、世界的に有名なフランス料理の巨匠、ジョエル・ロブション氏の声がけで、2018年、パリに「獺祭・ジョエル・ロブション(Dassaï Joël Robuchon)」をオープンさせました。
(桜井会長)米国の次はヨーロッパ、食の都・パリに進出することを決め、準備を進めていたのですが、フランスの法律の問題で計画は途中でなくなってしまいました。ところが、そのプロジェクトの経緯を知ったジョエル・ロブション氏が、「自分と一緒にやろう」と声をかけてくれたんです。「獺祭に恋をした」と。そして昨年、パリ8区のフォーブル・サン=トノレ通りに共同の店舗がオープンしました。
2018年6月にグランドオープンした「獺祭・ジョエル・ロブション」
たいへん残念なことに、ロブション氏は昨年8月にがんで亡くなられたのですが、その5月に山口県岩国市にある酒蔵を見学に来てくれたんです。製造の工程を見て、「スイスの時計職人のような造り方をしているんだね」と、ここが日本酒造りの“聖地”であるというのを、彼らしい言葉で表現し、敬意を表してくれました。
その翌月、パリのお店のグランドオープンには、体調がよくないのを押して駆けつけてくれたんです。その気持ちが本当にうれしかったですね。
ロブション氏との交流を通して得たものはたくさんありますが、世界を舞台に活躍するあれほどの巨匠であっても、料理を進化させ続けていた姿にはとくに刺激を受けました。常に、“その上”を追いかけて変化しているのを毎回感じ、これはすごいことだな…と、深く考えさせられましたね。
左から旭酒造代表取締役社長の長男・一宏氏、ジョエル・ロブション氏、桜井博志会長
“旭酒造NY酒蔵プロジェクト”
現在、旭酒造は、世界最大の料理大学といわれるCIA (Culinary Institute of America)大学と提携し、NY州に酒蔵を建設中で2020年からの稼働を目指し準備を進めています。現地の米や水を使用し、国内と同じく純米大吟醸を製造する予定。最終的には7000石(一升瓶にすると70万本)の生産を目指し、現地生産によって抑えられたコストで全米に向けて供給していく予定です。
(桜井会長)「アメリカで日本酒がブーム」といわれていますが、私が思うところ、実際には全米で飲まれている総アルコール飲料の1%あるかないかが現実的な数字だと思います。米国人の日本酒に対する知識はほぼありませんし、日本酒が米国でしっかりと根付くのにはまだ時間がかかると思っていました。
そうしたところ、2017年にCIA大学から打診があり、この話をお受けしました。約2万坪の敷地に酒蔵を建設し、テイスティングルーム付きのリカーストアを併設します。米国人に、日本酒に親しんでもらえる場所になればと思っています。
米国NY州に建設中の酒蔵のイメージ画像
酒米は、米・アーカンソー州産の山田錦と日本からの山田錦を半分ずつ使用する予定です。現地で蔵人を採用しますが、日本から工場長他スタッフ数名が行きますし、造り方も日本と同じです。ただ、「獺祭」とは別のお酒なので、銘柄名は違うものになります。もう名前は私のなかで決めていますが、発表するまではまだ秘密です(笑)。
(※後日、日本のオリジナルの獺祭を超えて、優れたお酒になってもらいたいとの思いを込めて『Dassai Blue』と命名したことを発表)
高品質のお酒を、現地生産することによって抑えられた価格で提供することで、より多くの米国人に日本酒との接点を持ってもらいたいですね。
会長も1年間アメリカに滞在し、陣頭指揮を取る予定だそう。
「日本が静かになるのではと思います(笑)。」
NYで造られるお酒は「Dassai Blue」に。
やっぱり、お客様からお金をいただいている以上、「ああ、飲んでよかった」と思ってもらえるお酒を造らなければと思っています。皆さんがもっと幸せになるお酒を造れるように、日本でも米国でも、今後も努力を重ねていきます。
お話をうかがって、常にチャレンジをし続けてきた旭酒造の背景には、桜井会長の“今よりさらにもっと上を目指して”の気持ちで歩んできた「強い信念」があるのが伝わってきました。
より“その先へ”と進化し続ける旭酒造の今後から、目が離せません。
旭酒造株式会社
https://www.asahishuzo.ne.jp
ライタープロフィール
阿部ちあき
全日本ソムリエ連盟認定 ワインコーディネーター