感性を生かした酒造りを目指して 〜活躍する女性蔵元に話を聞く〜

感性を生かした酒造りを目指して 〜活躍する女性蔵元に話を聞く〜

かつて酒蔵は「女人禁制」とされ、女性が出入りすることを固く禁じられた時代がありました。しかし現在はその風習は影をひそめ、多くの女性たちが細やかで繊細な感性を酒造りに生かし活躍しています。女性蔵元がまだ珍しかった少し前の時代から活躍してきた二人の女性蔵元に、これまでの歩みについて話をお聞きしました。

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全量純米酒を醸す酒蔵「森喜酒造場」

伊賀流忍者の里、松尾芭蕉生誕の地である伊賀市に1893年に創業。

先代が倒れ、急遽蔵元に

三重県伊賀市の森喜酒造場は、現在、森喜英樹さん、るみ子さんご夫妻が五代目を受け継ぎ、ラベルのイラストが印象的な「るみ子の酒」など、米の旨みを引き出した味わい深い日本酒を醸しています。
るみ子さんは、森喜家の長女として生まれ、大阪大学薬学部を卒業後、地元に戻り製薬会社に就職。仕事の傍ら休日には実家の手伝いをしていた矢先、先代の父が倒れ、そこから生活が一変します。

(るみ子さん)「主人との挙式を控えていた頃でしたが、時期を前倒しして式を挙げ、私たちで酒蔵を引き継ぎました。父は自分の代で酒蔵を終わらせようと考えていましたが、私は「酒造り」がとても貴重なことだと思っていましたし、何より子供の頃から身近にあった日本酒が本当に好きだったので、ここで辞めたくないと思い家業を継ぐ決心をしました。

二人姉妹だったので、主人が婿に入り伊賀に来てくれたんです。でも、引き継いでからしばらくは経営が厳しく、本当に大変な状況でした。当時は桶売り(大手のメーカーに酒を売る取り引き)が主体でしたが、契約が打ち切りになり、子供を背負いながら配達をして酒販のほうでなんとか会社を支えていました。そんな時に、漫画「夏子の酒」と出合い、大きな衝撃を受けました」。

「漫画『夏子の酒』は酒蔵の状況がリアルに描かれていて瞬読でした」とるみ子さん。
主人公の夏子とは偶然にも誕生日が同じだったそう。

杜氏は夫婦二人、絆が生んだ銘酒

主人公夏子と自分の境遇があまりにも重なり、1巻から涙が止まらなくなるほど感動し、作者・尾瀬あきら氏に手紙を送ったことがきっかけで交流が始まりました。尾瀬氏の紹介で蔵元が集う勉強会に参加することになり、そこで、埼玉県の神亀酒造の純米酒を飲んで大きく心を動かされました。

(るみ子さん)「当時、華やかな香りがある吟醸酒が人気でしたが、神亀さんのお酒は、基本に忠実な造りでお米の味わいがしっかりと表現された純米酒。その味に、自分が飲みたいのはこういうお酒だと気づき、蔵を建て直すなら、いつまでも飲み続けていたい、食事がおいしくなる純米酒を造ろうと心に決めました。主人も同じ思いで、二人で試行錯誤しながら無我夢中で酒造りに取り組みました」。

平成4年から純米酒のみを醸す酒蔵に。
二人の男の子の子育て、さらにお腹には第三子を身籠もりながら夫婦で試行錯誤を重ねて造ったお酒は、尾瀬氏が「るみ子の酒」と名付け、ラベルも描き下ろしてくれました。

(るみ子さん)「仕込み中お腹にいた長女は、最後の上槽から三日後に生まれました。酒造りに没頭していたなか無事に生まれてきてくれた生命力には感動しましたね。
「るみ子の酒」の2年目の造りは、それまでいた杜氏や蔵人が辞めて主人と二人だけになったのでさらに大変でした。酒造りの仕事のほか、配達も家事もしていました。夜中の2時まで仕事をして、朝は6時から仕事が始まるのでその前に食事の支度。ほとんど寝られなくて、主人は10kg、私は5kg痩せました。でも不思議と身体は壊しませんでしたね(笑)。

ファンの多い「るみ子の酒」。平成4年に初めてリリースしました。

主人とは目指すお酒の味が一致していたので、作業をうまく分担し、それ以降、二人合わせて一人の杜氏としてやってきました。ともに壁にぶち当たって心が折れそうになると、お互いがそれぞれ相手を支えることで乗り越えてきました。前に走り過ぎてしまう私を、主人が冷静にフォローしてくれるというような〝アクセルとブレーキ〟の関係でもあるんです。お互いにとってかけがえのないパートナーですね」。

るみ子さんの夫・英樹さん。夫婦を超えた固い絆で結ばれているお二人です。

性別を意識することなく、よい酒造りを

当時に比べ現在の日本酒業界は、若手の造り手が増え、酒質も多様化していく一方で、消費量の低下や酒蔵の人材不足など、産業として衰退してく危機感があると話するみ子さん。

(るみ子さん)「今は性別にこだわらず、酒造りをしてくれる人を積極的に受け入れていくべき時代ですよね。女性杜氏を見ていると、固定観念に縛られず、自由な発想でお酒を造る人が増えていると思います。うちも3年前から豊本理恵さんに杜氏を任せていますが、彼女はとてもセンスがいいんです。そして日本酒が好きで、体力と根性もある。この素質があれば、私は性別問わずウエルカムです」。

東京農短大を卒業して以来、森喜酒造ひと筋だった理恵さんは平成28年から杜氏に就任。

理恵ちゃんは家族同然。森喜酒造の嫁のような存在です」とるみ子さん。
「本当に嫁に行ってもらいたいとは思うけど、他の酒蔵の嫁になるのは反対(笑)」。

今から20年前に「悩みを分かち合う場ができれば」と、女性蔵人が集う〝蔵女性サミット〟の発起人となったるみ子さんは、後輩の女性蔵人たちのよき理解者として悩みの相談に乗ることも多いそうです。

(るみ子さん)「昔は郵便やFAXでやり取りしていましたが、今はSNSがあるのでかなり便利になりましたね。横の繋がりがあることで、自分と同じ立場の仲間の存在を知り、励みに繋がるんです」。

今後は、地元で栽培された米を使い、生酛や山廃、酵母無添加など「より自然なお酒」をもっと探求したいと語るるみ子さん。自分たちが飲みたいと思える酒を造り続ける信念は「るみ子の酒」を誕生させた頃から変わらないままです。

(るみ子さん)「造り手にとって、〝どんな酒を造りたいか〟は一生の命題。その思いを大切に、これからも頑張っていきたいですね」。


夫婦が支え合い、飲む人を思って醸した酒は、多くの人たちの心に届く愛情あふれる美酒であり続けることでしょう。



合名会社 森喜酒造場
http://moriki.o.oo7.jp

長野県最古の酒蔵「酒千蔵野(しゅせんくらの)」

97年に建設された近代的な造りの新酒蔵。

蔵元の一人娘として生まれ十八代目に

長野市の善光寺平(長野盆地)に広がる川中島町にある(株)酒千蔵野は、1540年創業の長野県最古の酒蔵。代々女系家族で女性が酒蔵を支えてきていて、現在当主を務める千野麻里子さんで十八代目になります。高校卒業まで地元で過ごし、東京農業大学醸造学科へ進学。卒業後は国税庁醸造試験場の研究生を経て実家の酒蔵へ戻りました。

(麻里子さん)自宅の隣が酒蔵だったので、子供の頃は毎朝蔵人から、蒸したての酒米を手で潰して作る「ひねり餅」をもらって食べながら登校していました。うちは代々女性が婿養子をもらって蔵を継いできたので、一人っ子だった私は子供の頃から「いずれ蔵を継ぐんだな」と思っていましたね。でも当時は、酒蔵に女性や子供は入ってはいけないといわれ、中に入ることはなかったんです。冬になると、新潟から杜氏や蔵人たちが来て酒造りをしている様子を、遠くから賑やかな音で感じていました。

農大への進学は、中学生時代から赤本を買って勉強していたのと(笑)、一度長野を離れて違う環境へ行ってみたかったのもあり、自分の意思で決めました。卒業後の試験場での2年間は、ほかの酒蔵の酒質のレベルの高さに驚かされましたね。自分の酒蔵のお酒を客観的に見ることができてよい経験になりました。酒造りについてしっかり学べたので、実家で仕事をしようと長野へ戻ったのですが、酒蔵の現場での仕事はすぐにはさせてもらえませんでした。

物心つく頃には酒蔵を継ぐと決めていたと話す麻里子さん。
「家族からの洗脳もあったように思います(笑)」。

前杜氏の教えを受け長野県初の女性杜氏へ

「蔵に入れて欲しい」と杜氏に頼んだところ、入れてくれたものの、仕事が与えられた訳ではなく、ただ蔵に入って蔵人たちの仕事を眺めるだけだったそう。数ヶ月が過ぎた頃、欠員が出たことがきっかけで酒造りに加わることに。次第に、酒蔵の伝統の味を残したいという思いが強くなり、自らが杜氏になることを決意しました。

(麻里子さん)酒蔵の仕事は、決まっている作業を時間の経過に合わせて黙々とこなす流れができていて、私が入って教えを請うと動きが止まってしまうので、とにかく見て工程を覚えていきました。杜氏になると決め、引退を考えていた前杜氏を引き留めて、一人前になるまで10年間の修行をお願いして指導してもらいましたが、昔気質の方だったので言葉も少なく、「酒造りは五感を通じて感覚で覚えなさい」と教えられました。

「前杜氏からは細かな説明はなく、「見て覚えろ」「感覚で覚えろ」と教わりました」。

(麻里子さん)ちょうど8年目を迎えた頃、前杜氏が突然、病に倒れてしまって。ちょうど造りの最中で、私一人では不安や迷いが出てしまい、前杜氏の病室にFAXを置いてもらって、細かな指示を仰ぎました。残念ながらその後、蔵に戻ることはなく亡くなってしまったのですが、実の父親よりも長い時間を一緒に過ごしてきた大切な師匠を失ったのは本当に悲しかったです。
予定より早く杜氏を務めることになってしまい、その年の仕込みはほとんど記憶にないくらい余裕がなかったですね。

蒸米に麹菌を振りかける麹造りの作業はもっとも重要な工程。丁寧な手仕事で行なっています。

しかし、杜氏1年目で関東信越国税局、2年目には全国新酒鑑評会で金賞を受賞するなど、実力派の女性杜氏として名を挙げた麻里子さん。長野県初の女性杜氏としても注目を集めました。

(麻里子さん)受賞をしたことでマスコミから取材を受けることが増えたのですが、「女性が造っているから甘くなったね」といわれたことがありました。実際は、以前よりも辛口にしていたので、先入観を持って飲む人もいるのだなと。一度ついたイメージを変えるのは大変でしたし、悔しかったですね。

それまでは特定名称酒をほとんど造っていなかったのですが、徐々に増やしていき、今では5割以上になりました。私自身が造りたかったお酒として「川中島 幻舞」も新たな銘柄に加えました。

華やかな香りとふくよかな米の旨味が広がり、後味には綺麗な酸が心地よい「川中島 幻舞」は、麻里子さんの自信作に。

長野の風土を感じられるお酒を

長野県は現在、全国でもっとも女性杜氏が多く、麻里子さんを含め7名。集まって情報交換を行うなど交流も盛んで、女性杜氏ならではの悩みを分かち合うこともあるといいます。
現在は、農大時代の同級生だった夫の健一さんと、三人の若手の蔵人たちと酒造りを行っており、将来的には地元の農家の方々と連携し、長野の県産米のみを使用した酒造りを行うことも考えているそうです。

(麻里子さん)同級生だった主人は婿養子に入ってくれました。彼の存在がなかったら、ここまで続けてこられなかったと思います。いろいろな場面で支えになってくれました。
私たちには子供がいないので、今後は別の方にバトンタッチすることになりますが、地元に愛される、長野の魅力が詰まったお酒を造る酒蔵として後継者に引き継ぎたいと思っています。

酒造りは生き物を相手にしているので、なかなか思うようにいかない難しさはあると思いますが、
私は嫌なことがあっても1日で忘れて、よいほうに考えて前に進んできました。
若い造り手の方には、失敗は経験値になるので深く悩まずに前向きにチャレンジしてもらいたいですね。

蔵人には各自が責任者となって自分たちで考えた「責任仕込み酒」を造ってもらっているそう。
「若い造り手の活躍はうれしく思います」。

前杜氏から受け継いだ、五感を生かした酒造りによって生まれる酒は、酒蔵の伝統の味わいとしてこれからも引き継がれることでしょう。



株式会社 酒千蔵野
http://www.shusen.jp

ライタープロフィール

阿部ちあき

日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会認定 きき酒師 日本酒・焼酎ナビゲーター公認講師
全日本ソムリエ連盟認定 ワインコーディネーター

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