宮城の日本酒【伯楽星(はくらくせい)】は究極の食中酒
「伯楽星(はくらくせい)」は、明治初期に創業した蔵元、新澤醸造店が“究極の食中酒”をめざして生み出したお酒です。フルーティな香りと酸味、あえて糖度をおさえた控えめな味わいは、和洋問わず、どんな料理にも合わせやすいと評判です。
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伯楽星が“究極の食中酒”と呼ばれる理由
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「伯楽星」の蔵元、新澤醸造店は明治6年(1873年)の創業以来、宮城県大崎市で酒造りを続けてきました。150年に近くにおよぶ歴史をもつ蔵元ですが、「伯楽星」の歴史は意外に新しく、その誕生は21世紀を迎えてからのこと。
「伯楽星」が生まれた背景には、大学卒業後に帰郷し、2002年に宮城県最年少の杜氏(とうじ)となった新澤巌夫氏の、新しい酒造りへの想いがありました。
「今、どんなお酒が必要とされているのか? 」を把握するため、居酒屋などを観察し続けた結果、食事が進むに連れて、お酒が飲み飽きられていくことに気がつきました。
そこから新澤氏がめざしたのは、「飲み飽きず、お代わりされるお酒」。これが“究極の食中酒”というコンセプトにつながります。
やがて、試行錯誤の末に生まれた酒に、新澤氏は大崎市に伝わる「馬の目利き“伯楽”が育てた名馬が天に昇った」という伝説から、「伯楽星」と命名します。その名のとおり、「伯楽星」は天まで昇る勢いで、この地を代表する地酒へと成長していくのです。
伯楽星は震災からの復活の象徴
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「伯楽星」は、誕生した当初から市場に認められたわけではありません。まだ「食中酒」という概念は一般的ではなかったため、新澤氏の理想が理解されなかったのです。
しかし、地道に改良を重ねるうちに、少しずつ「伯楽星」の魅力に気づく人が増えていき、2003年には雑誌で「隠れた日本の銘酒」に選ばれます。これを機に、急速に認知度が高まり、宮城を代表する地酒へと成長していきます。
そんなとき、宮城の地を襲ったのが、2011年の東日本大震災でした。蔵が全壊するという深刻な被害を受けた新澤醸造店ですが、酒造りへの情熱が絶えることはありませんでした。
地域とのつながりを絶やさないために、本社機能は大崎市に残したまま、新天地を求めて宮城県柴田郡川崎町に「川崎蔵」を新設しました。
川崎の地を選んだのは、全壊した蔵よりも大規模な酒造施設が売りに出されていたことに加えて、近くに酒造りに欠かせない清水の水源があったこと。いわば、新しい酒造りに挑戦するための条件が揃っていたのです。
数々の挑戦によって、「伯楽星」の質をさらに高めるだけでなく、パンチのあるリキュール酒「超濃厚ジャージーヨーグルト酒」や、精米歩合9%まで磨いた「残響 Super9」など、新たな成果を生み出しています。
伯楽星の輝かしい受賞歴
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「伯楽星」の食中酒としての魅力は、酒そのもののインパクトよりも、食事とともに、ゆったりとたのしめること。
食事でお腹がふくれてくると、糖分をおいしく感じなくなっていきますが、「伯楽星」は糖度をおさえることで、いつまでもおいしくたのしめます。地酒ファンのあいだでは「伯楽星は三杯目が一番おいしい」といわれているのだとか。
こうした「伯楽星」の魅力は、年を追うごとに世間に浸透していきます。
2009年には「伯楽星 純米大吟醸」が日本航空国際線のファーストクラスに採用。2010年と2014年にはFIFAワールドカップ公認の日本酒に選ばれます。さらに、2015年には雑誌「PEN」の日本酒ミシュラン特集で「伯楽星 特別純米」が三ツ星を取得します。
そして2017年には、日本一おいしい市販酒を決めるきき酒イベント「SAKE COMPETITION」において、「伯楽星」は純米酒部門、純米吟醸部門でいずれも6位を獲得。2018年にも純米吟醸部門で6位に入賞するなど、国内トップクラスの実力が認められました。
震災を乗り越えて、新しいスタートを切った「伯楽星」は、これからさらに、天馬のごとき飛躍を見せてくれることでしょう。
製造元:株式会社新澤醸造店
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