「豊盃(ほうはい)」弘前の地酒、米にこだわる酒造りの三浦酒造【青森の日本酒】
「豊盃」を生んだ三浦酒造は、極寒の地、青森県弘前市において昭和初期に誕生した蔵元です。若き兄弟が蔵元杜氏を務めるこの蔵で、米の旨味にこだわった「豊盃」は今も進化を続けており、地酒ファンの注目を集めています。
- 更新日:
豊盃を生んだ、注目の若き蔵元杜氏
takasu / Shutterstock.com
「豊盃」を醸す三浦酒造は、青森県の西南部に位置する弘前市において、昭和5年(1930年)に創業しました。当初の生産量は年間400石(1石=一升瓶にして100本分)ほどだったそうで、今日に至るまで、家族中心の小規模な酒造りを続けてきました。
現在、この蔵の杜氏(とうじ)を務めているのが、5代目にあたる三浦剛史氏と文仁氏の兄弟です。
この地域の蔵では、冬場になると津軽杜氏や南部杜氏を招くのが一般的ですが、近年では「外部の杜氏に任せるのでなく、自らの手でこだわりの酒を生み出そう」と、蔵元自らが酒造りの指揮を執る「蔵元杜氏」が増えています。
三浦兄弟もまた、ともに20代という若さで杜氏になることを決意。1999年に就任して以来、父親である現社長の指導のもと、兄弟の二人三脚によって「豊盃」の酒質を向上させていったのです。
その若さと情熱、そして、それまでの酒造りになかった新しい感性で醸された「豊盃」は、グルメ雑誌に“次世代を担う酒”として取り上げられ、若き蔵元杜氏ともども、広く注目を集めるようになったのです。
豊盃の魅力は米の旨味
phloen / Shutterstock.com
「豊盃」に代表される三浦酒造の酒造りの根底には、米の旨味に対するこだわりがあります。
そもそも「豊盃」という銘柄が、昭和51年(1976年)に誕生した青森産の酒造好適米「豊盃米」に由来しています。ちなみに、この米の名称は、文字通り「豊かな盃」という意味に加え、津軽民謡「ホーハイ節」からきたものだとか。
その名称から、「豊盃米」は「豊盃」の専用米と思われがちですが、じつは、当時は米そのものを商標登録するということが一般的でなく、米の名をとった「豊盃」の商標登録を申請したところ、あっさりと通ったようです。
三浦酒造では、この「豊盃米」をはじめ、その後に開発された「華吹雪」「華想い」など青森県産の酒造好適米を中心に、契約農家が育てた良質な原料米のみを使用。蔵人たちが田植えを手伝い、米農家の人たちが酒造りを見学に来るなど、確かな信頼関係のもとに造られた酒米で「豊盃」を造っています。
また、この規模の酒蔵としては珍しく、自家精米を行っています。蔵に精米器を設置した際には、蔵のサイズに比べて大きすぎたため、屋根を突き破ってしまったそうですが、そうまでして米にこだわるところに、「豊盃」の魅力の一端が見えてきます。
豊盃は華やかな味わいで海外からも称賛
mariyaermolaeva / Shutterstock.com
「豊盃」の造り手として三浦兄弟が酒造りに挑み始めてから約20年を経た現在、「豊盃」は全国の地酒ファンが注目する銘柄へと成長。JAL(日本航空)のファーストクラスでの機内酒や、スペインの日本大使館での振る舞い酒に採用されるなど、華々しい実績を積み重ねています。
また、世界的なワインの格付であるロバート・パーカーJr氏の「ワイン・アドヴォケート」から、「豊盃」は100点満点中、91点という高評価を獲得。世界中のワインのうち85点以上の評価を得るのは1%程度といわれていますから、「豊盃」の実力のほどがわかるというものです。
「豊盃」は知名度の向上とともに需要も拡大しており、発売翌月に在庫がなくなることもあるなど、入手困難なレア酒になっておいます。
それでも三浦酒造では生産量を増やすことなく、年間1,200石程度という、自分たちの目が行き届く範囲での酒造りを続けています。
あくまで堅実に、小規模な酒蔵として品質を追求し続ける「豊盃」だからこそ、地酒ファンからの熱い支持を得ているのでしょう。
今後、兄弟杜氏の酒造りの技が熟していくとともに、「豊盃」のさらなる進化が期待できるでしょう。目にする機会があれば、ぜひ、味わってみたいものです。
製造元:三浦酒造株式会社
公式サイトはありません