ウイスキーは「生命の水」だった?意外な語源と歴史を解説!

ウイスキーは「生命の水」だった?意外な語源と歴史を解説!
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「ウイスキー」の語源が“生命の水”であることを知っていますか? 今回は、「ウイスキー」がなぜ“生命の水”と呼ばれていたのか、なぜ「琥珀色」をしているのか、そしてどのように世界に広まっていったのか、ウイスキーの興味深い歴史を紹介していきます。

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「ウイスキー」はゲール語で “生命の水”の意

「ウイスキー」はゲール語で “生命の水”の意

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ウイスキーの起源は諸説あり、未だ決着がついていない

蒸溜酒は、紀元前3~4世紀ごろメソポタミアで発祥したといわれています。錬金術を通じて発達したといわれていますが、蒸溜酒のひとつであるウイスキーの起源については諸説あります。

ひとつは12世紀にイングランド王のヘンリー2世がアイルランドへ侵攻した際に、従軍兵が「地元の民が“ウスケボー”と呼ばれる蒸溜酒を飲んでいた」と報告したという逸話。

もうひとつは、15世紀半ばのスコットランド王室の記録に、「王の命令にて修道士にモルトを使って“アクア・ヴィッテ”を造らせた」という記述があるというもの。

ただし、起源のみならず、蒸溜技術と深い関係がある錬金術についてもヨーロッパにおける広まり方が諸説あるため、ウイスキーの起源についての論争は未だに終止符が打たれていません。

蒸溜酒は中世にラテン語で「生命の水」と名付けられた

一方、蒸溜技術に深く関わる錬金術は、中世ヨーロッパで隆盛を迎えました。そもそも古代エジプトで不老不死などを目指していた錬金術は、自然科学の発展に大きく貢献し、中世ヨーロッパでは蒸溜技術の高度化を促したのです。

その結果、蒸溜技術は酒の製造にも応用され、アルコール度数が高い蒸溜酒を造りあげることに成功。こうしてできた蒸溜酒は口の中で燃え上がるような味わいだったようで、当時は錬金術による“不老不死の薬”と考えられたそうです。
そのため、蒸溜酒はラテン語で“生命の水”を意味する「アクア・ヴィッテ(aqua vitae)」と名付けられました。

「ウイスキー」はゲール語の“生命の水”が訛った名称

時代ははっきりとはしませんが、蒸溜技術はケルト人にも伝わりました。このとき蒸溜酒は「アクア・ヴィッテ」と呼ばれていて、これをケルト人が自分たちの言語であるゲール語に「ウシュク・ベーハー(生命の水)」と直訳しました。
これが、ケルト人のあいだでどんどん訛っていき「ウスケボー」や「ウイスキー」と呼ばれるようになったといわれています。

ウイスキーの琥珀色は密造時代に生まれた

ウイスキーの琥珀色は密造時代に生まれた

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密造に使った樽でウイスキーが琥珀色に

ウイスキーが誕生してしばらくは、蒸溜したままの透明な状態で飲まれていました。じつは現在のウイスキーのような琥珀色になった出来事には密造が関係しています。

1707年、スコットランドがイングランドに併合された際、ウイスキーにすさまじく高い税金が課されました。重税を嫌った人々は山奥に逃れ、お酒を密造するようになります。このとき蒸溜したお酒を隠すため、木の樽に詰めて保存しました。

たまたまシェリーの空き樽が利用されたようで、いざ樽を開けてみると、透明だったはずの液体が琥珀色に変わり、味もまろやかでおいしくなっていたのです。

これにより、ウイスキーの“樽熟成”の工程が確立したとされています。

酒造のライセンスが与えられウイスキー製造が合法化

その後、課税差別の撤廃や酒税法のたび重なる改正を経て、政府がウイスキー製造を許可制で合法化していくことになります。一説によると、「あるイギリス国王がスコットランドを訪問した際に、密造ウイスキーを所望した」といわれるほど密造が公然の秘密になっていたこともあり、こうした実情が酒税法改正を後押ししたのだそうです。

樽熟成はウイスキー造りに不可欠になった

その後、樽熟成はウイスキーの重要な製造工程のひとつとなりました。蒸溜したばかりのウイスキーは無色透明の液体ですが、樽に入れて長い期間熟成させると、樽の木の成分が液体に溶け出して、次第に琥珀色に変化していきます。現在でも、どのような樽で熟成させるとどのようなウイスキーになるかは日々研究され続けています。

世界中で愛されるようになったウイスキー

世界中で愛されるようになったウイスキー

CC7/ Shutterstock.com

ウイスキーが世界に広がるきっかけになった2つの出来事

ウイスキーは密造時代が終わってもスコットランドのお酒で、イギリスから外にはほとんど出ていませんでした。しかし、19世紀の中ごろ、ウイスキーが世界に広がるきっかけとなった2つの出来事がありました。

ひとつはブレンデッドウイスキーの誕生と、もうひとつはフィロキセラという害虫の大流行でした。

万人好みの「ブレンデッドウイスキー」が誕生

19世紀半ばに「ブレンデッドウイスキー」が誕生し、それまで個性が強かったスコッチウイスキーが、ロンドンなどの巨大市場でも受け入れやすい、万人好みの味に変化しました。

これを可能にしたのが、1831年に実用化された「連続式蒸溜機」です。この技術がトウモロコシなどの穀物を原料とした「グレーンウイスキー」を安定かつ大量に生産することを可能にしました。

1860年には法改正もあり、異なる蒸溜所のブレンドが可能になり、「ブレンデッドウイスキー」の製造が本格化しました。

フィロキセラがブドウ畑を壊滅的にしたため、ウイスキーが脚光を浴びる

もうひとつ、ウイスキーの広がりに貢献したのが、19世紀の中ごろ、フィロキセラという害虫がヨーロッパ中で大流行したことです。この虫はとくにブドウ畑に大きな打撃を与え、ワインやブランデーが造れなくなったのです。

ワインやブランデーを飲めなくなった酒好きの人たちは、しかたなくウイスキーに手を伸ばします。折しも「ブレンデッドウイスキー」の本格化で万人受けする味わいとなったウイスキーは、「意外においしい」と人気を博しました。

こうして、ウイスキーは世界の酒好きのあいだで愛されるようになっていったのです。

ふだん何気なく「ウイスキー」と呼んでいるお酒も、“生命の水”だと思うと、またたのしみ方も変わってきますね。今晩はぜひウイスキーの歴史に想いをはせながら、“生命の水”の味わいをおたのしみください。

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