【杜氏(とうじ)】とは?日本酒造りでの役割や蔵人との違いを解説!
「杜氏」の役割をご存知ですか?杜氏は酒造りの現場を指揮する責任者で、その専門技術は全国の酒蔵から求められます。今回は、江戸時代に始まる杜氏の歴史や、時代とともに変化する杜氏事情について解説します。
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「杜氏」とは日本酒造りの現場責任者
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「杜氏」は蔵元の理想を実現する、酒造りの“現場監督”
「杜氏(とうじ)」とは、酒造業を営む蔵元に雇われ、日本酒造りの現場を取り仕切る責任者のこと。
酒造りの専門技術を売り物として、全国各地の蔵元に招聘され、蔵元の戦略や方針を踏まえて、蔵の施設や、蔵が仕入れた米や麹、仕込み水などを駆使して、蔵人たちとともに蔵元が求める日本酒を実現します。
プロスポーツにたとえれば、オーナーが揃えた選手を指揮して優勝をめざす監督のような存在に近いと言えそうです。
「杜氏」には酒造り現場のリーダーとしてスキルが求められる
「杜氏」には、日本酒造りに関する知識や技術はもちろん、経験やセンス、さらには現場をまとめるリーダーシップが求められます。
というのも、日本酒造りは、蔵元の規模にもよりますが、杜氏の指揮のもとに数人から数十人の蔵人がチームを組んで行うもの。長く複雑な工程を要する日本酒造りが円滑に行われるよう、チーム内の人間関係にも目を配る必要があるためです。
「杜氏」制度と日本酒造りの歴史を振り返る
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杜氏の歴史は江戸時代から約300年続いてきた
「杜氏」は本来、日本酒造りが行われる冬から春にかけて酒蔵に住み込み、酒造りが終わると蔵を去る、いわゆる“季節労働者”。そうした雇用形態が生まれたのは、約300年前の江戸時代に遡ります。
もともと日本酒造りは年間を通して行われていましたが、江戸期になって、冬場にのみ行われる「寒造り」が定着します。飢饉に備えて米を備蓄するために、冬場にのみ、余った米を使用しての酒造りが認められたためです。
冬の間だけ必要になる人手を供給したのが、農閑期を迎えた農村の働き手たちでした。こうして、各地の農村に「杜氏」を中心とした酒造りの技術者集団が誕生したのです。
三大「杜氏」を知る
「杜氏」を中心とした技術者集団は、全国に30近くあります。なかでも高度な技術を持った“三大杜氏”と呼ばれるグループを、それぞれの特徴とともに紹介しましょう。
【丹波(たんば)杜氏】
兵庫県篠山市周辺を出身地とする杜氏集団です。江戸時代後期、灘の蔵元が多くの出稼ぎを受け入れたことが始まりで、灘の日本酒の発展を支えてきました。
【越後(えちご)杜氏】
新潟県中南部を出身地とする杜氏集団です。勤勉さと技術力の高さが評価され、かつては全国各地に出稼ぎに出ていましたが、新潟が日本有数の酒処となった現在では、地元での酒造りが主体です。
【南部(なんぶ)杜氏】
かつて「南部」と呼ばれた岩手県花巻市を拠点とする杜氏集団。杜氏の数は全国最多を誇り、各地で日本酒造りを担っています。
現代の日本酒造りにおける「杜氏」事情
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「杜氏」の雇用形態が変化
「杜氏」は長らく季節労働が一般的でしたが、近年、日本酒の出荷量減少による蔵元の経営難や、杜氏の高齢化といった環境変化を背景に、雇用形態が少しずつ変化。通年雇用の「社員杜氏」が増えるとともに、蔵元が自ら日本酒造りを学び、杜氏を兼任する「蔵元杜氏」も多く見られるようになりました。
最近では、他業種を経験してから蔵元に戻り、杜氏になるなど、慣習にとらわれない新しい感覚を持った「蔵元杜氏」も出現しています。
見直される地元杜氏
一方で、個々の蔵元だけでなく、地域全体で地元の日本酒造りを守り、向上させるべく、改めて地元杜氏を育てようとする動きも見られます。
福島の「会津(あいづ)杜氏」、栃木の「下野(しもつけ)杜氏」、富山の「富山杜氏」などがその代表格で、彼らを中心に、各地で地域の気候・風土に根差した酒造りの技術を磨いています。
「杜氏」について基本的な知識を紹介してきました。最近は杜氏さんが参加している日本酒イベントも増えているので、機会があれば日本酒造りについて聞いてみましょう!