日本酒の歴史がよくわかる! 年表でチェックする日本酒の始まりから現在まで

日本酒の歴史がよくわかる! 年表でチェックする日本酒の始まりから現在まで
出典 : ライダー写真家はじめ / PIXTA(ピクスタ)

日本酒の歴史は古く、原始時代にまでさかのぼれます。今回は冒頭に、日本酒の歴史がひと目でわかる年表を掲載。神が活躍した神話の時代も含め、原始時代から奈良時代、平安時代、武士の時代、明治時代、そして現代まで日本酒の歴史をわかりやすく紹介します。

  • 更新日:

日本酒の歴史を知ることは知的好奇心を満たすだけでなく、文化的価値を知る意義もあります。さっそく、ひと目でわかる日本酒の歴史年表からみていきましょう。

かんたんにわかる! 日本酒の歴史年表

日本酒の歴史年表

porokku / PIXTA(ピクスタ)

日本酒の歴史のおおまかな流れを年表でつかんでいきましょう。「<1>」などの数字は、以下の見出しと連動しています。

<1>縄文時代の終わりごろ
稲作が伝来

<1>弥生時代の始めごろ
米を使ったお酒が造られ始める(推定)

<1>奈良時代
朝廷による酒造り開始
お酒にまつわる神話や記録が記された書物登場
712年 『古事記』完成
713年以降 『大隅国風土記』『播磨国風土記』成立
720年 『日本書紀』完成

<2>平安時代
寺院で僧侶によって造られる「僧坊酒」が始まる
927年 さまざまな酒造方法の記載がある法典『延喜式』完成

<2>鎌倉時代
日本酒の流通が盛んになる
1252年 禁酒令「沽酒(こしゅ)の禁」を発令

<2>室町時代
「僧坊酒」の評判が高まる
寺院で確立された酒造技術「諸白」が確立
木炭を使った「ろ過」「火入れ」「段仕込み」などが文献に登場

<3>江戸時代
1619年~ 菱垣廻船や樽廻船で伊丹酒の大量輸送が可能になる
1657年 幕府が酒株(酒造株)を制定
1667年 幕府が寒造りへの移行を促す
初期~中期 杜氏制度を確立
三段仕込みの定着
火入れの一般化
「柱焼酎」を開始
1840年 名水「宮水」を発見

<4>明治時代
1871年 酒株を廃止
1875年 酒類税則を制定(酒造営業税、醸造税などを導入)
1880年 酒造税則を制定(酒造営業税が酒造免許税、醸造税が造石税になる)
1896年 酒造税法を制定(酒造免許税が廃止されて造石税に一本化される)
1899年 酒類の自家醸造を禁止
1904年 国立醸造試験場を設立
1906年 醸造協会から純粋培養酵母を頒布
1911年 第1回全国新酒鑑評会を開催

<4>現代
1955~1973年 高度経済成長で日本酒需要が急増1989年 吟醸酒、純米酒、本醸造酒といった特定名称を表示する場合の基準などを定めた「清酒の製法品質表示基準」を制定

<1>縄文・弥生・奈良時代|日本酒のルーツ

日本酒のルーツ

SJ Travel Photo and Video / Shutterstock.com

神話の時代から、原始時代の縄文時代、弥生時代、そして律令政治が始まった奈良時代の歴史をたどり、日本酒のルーツを探っていきましょう。

日本酒を初めて造ったのはあの神様!?

日本酒を初めて造った人は定かではありませんが、現存する最古の史書である『古事記』や最初の勅撰国史『日本書紀』に登場する神話には、神様が造らせたお酒が登場します。

「ヤマタノオロチ(八岐大蛇)」という8つ頭と8つの尾を持つ大蛇を退治するため、スサノオノミコトという神様が造らせた「ヤシオリノサケ(八塩折之酒)」というお酒です。

「ヤシオリノサケ」という言葉には、何度も仕込んだ濃い酒という意味があるといわれていて、果実酒だったのではないかという説がある一方、穀物を使った日本酒に近いものだったと推測する説もあります。

神々が国を治めていた世界で、すでに日本酒に近いお酒があったとするなら、とてもロマンのあるお話です。

日本酒が生まれた場所

shige hattori / PIXTA(ピクスタ)

日本酒はどこで生まれたの?

日本酒が生まれた場所には諸説があり、稲作が伝えられたと目される大陸に近い九州や中国地方、近畿地方のいずれかとする説が有力とされています。

稲作が大陸から日本に伝わったのは、縄文時代の終わりごろとみられており、米を原料とする日本酒が誕生したのは、それ以降となる弥生時代と考えられています。

日本酒の元祖

jazzman / PIXTA(ピクスタ)

日本酒の元祖は?

日本酒の元祖とされるお酒は複数存在します。ひとつは「口噛みの酒」、もうひとつは「カビの酒」で、どちらも奈良時代初期の文献に登場します。

口噛みの酒は、『大隅国風土記(おおすみこくふどき)』に書かれているとされるもので、生米を噛んで壺などに吐き出し、唾液の酵素で米に含まれるデンプンを糖化させて、野生酵母でアルコール発酵させたもの。南太平洋や中南米の国々、台湾などでもみられる醸造方法で、それらの国からなんらかのルートで日本に伝わったとする説もあります。

カビの酒は、『播磨国風土記(はりまこくふどき)』などに登場するもの。干し飯に生えたカビを使って造ったお酒で、カビの一種である麹菌を使って米のデンプンを糖化させる、日本酒の醸造方法の最古の記録であるともいわれています。

また、律令政治が始まった奈良時代には朝廷による酒造りも行われていて、宮内省に属する「造酒司(さけのつかさ/みきのつかさ)」という役所に、醸造などを行う「酒部(さかべ)」という部署が置かれていました。

<2>平安・鎌倉・室町時代|日本酒の発展期

日本酒の発展期

terkey / PIXTA(ピクスタ)

平安時代や、中世の武士の時代である鎌倉時代、室町時代は、日本酒の発展期といえる時代です。各時代の日本酒事情をみていきましょう。

日本酒のさまざまな製法が登場

平安時代の法典『延喜式(えんぎしき)』には、宮中の儀式で供されるさまざまなお酒の種類や造り方などが記されています。

たとえば、天皇のためのお酒でもある「御酒(ごしゅ)」は、発酵を終えた醪(もろみ)を漉(こ)したものに、さらに蒸米と米麹を入れて再発酵させる「しおり」と呼ばれる製法で造られます。

ほかにも、水の代わりにお酒を使って造る甘酒「醴酒(れいしゅ)」や、小麦の麦芽も使う「三種糟(さんしゅそう)」など、あわせて十数種類の製法が登場。酒造技術の発展がうかがえます。

評判となった僧坊酒

Yama / PIXTA(ピクスタ)

日本酒が流通! お坊さんが造る「僧坊酒」が評判に

源氏による鎌倉幕府が開かれ、武士の時代となると、日本酒の流通が盛んになる一方で、お酒によるトラブルも増加。禁酒令まで出されています。

その後、後醍醐(ごだいご)天皇の親政を経て、足利氏による室町幕府が開かれるころには、平安時代から寺院で僧侶によって造られていた「僧坊酒(そうぼうしゅ)」の評判が高まります。

とりわけ、現・大阪府にある天野山金剛寺(あまのさんこんごうじ)の「天野酒(あまのざけ)」と、現・奈良県にある菩提山正暦寺(ぼだいせんしょうりゃくじ)の「菩提泉(ぼだいせん)」が人気となりました。このうちの「菩提泉」については、最初の日本酒とする説もあります。

正暦寺など奈良の寺院で確立された酒造技術が「諸白(もろはく)」です。麹米、掛米ともに白米を使用するもので、麹米のみ玄米を使って造ったお酒は「片白」と呼ばれました。

この時代、酒造技術はさらに向上し、文献には木炭を使用するろ過や火入れ、段仕込みなどについての記述も残っています。

また、各地で「地酒」が造られ始めたのもこのころといわれています。

<3>江戸時代|日本酒の確立期

江戸時代は日本酒の確立期

KIMASA / PIXTA(ピクスタ)

日本酒造りの技術と日本酒の流通が、ともに確立した江戸時代。まずは、この時代に始まって一般化した酒造技術からチェックしていきます。

酒造りの技術が確立した時代

江戸時代は、現代にも通じる日本酒造りの技術や仕組みが確立した時代です。

まず、冬期のみに酒造りを行う「寒造り」が始まったことが挙げられます。それまでは一年をとおして酒造りが行われていましたが、米の供給量を調整するための酒造統制で冬以外の酒造が禁じられたことがきっかけとなり、寒造りが普及していきます。

また、農閑期にあたる冬に酒造りが行われることで、農民たちの出稼ぎによる杜氏制度も確立していきます。

さらに江戸時代には、現代においても広く行われている「三段仕込み」が定着し、低温加熱殺菌の技法である「火入れ」も一般化しています。大吟醸酒などでも行われている醸造アルコール添加の原型とされる「柱焼酎(はしらしょうちゅう)」が取り入れられ始めたのもこのころです。

一大消費地の江戸に集まる銘酒

myconcept / PIXTA(ピクスタ)

流通が発展! 各地の銘酒が江戸に集結

江戸時代になる前の、織田信長(おだのぶなが)の時代、誰もが自由に商売できる「楽市・楽座」という政策が行われ、市場経済が発展していきます。

時期を同じく、伊丹(いたみ/現・大阪府)などの酒蔵が「諸白」を改良し、高品質の日本酒を大量に生産することに成功。澄んでいてスッキリした味わいの「清酒(澄み酒)」が好まれた江戸時代には、大量輸送可能な菱垣廻船や樽廻船を使って、一大消費地である江戸に運ばれ、「伊丹酒」として大評判を取ります。

江戸後期には、名水「宮水」を用いて造られる灘(なだ/現・兵庫県)の辛口酒が「灘の生一本(きいっぽん)」「灘の男酒」として人気となり、やわらかい飲み口が特徴の「伏見(ふしみ/現・京都府)の女酒」とともに、「伊丹酒」にとって代わります。

江戸では、運河沿いに灘酒を扱う酒問屋や関東周辺で造られる酒を扱う酒問屋が誕生し、日本酒の流通に貢献します。

また、江戸幕府はさまざまな酒造統制を行い、「酒株(酒造株)」を持っていなければ酒を造れないという製造免許制度なども導入されました。

<4>明治時代~現代|日本酒の近現代

日本酒の近現代

taka1022 / Shutterstock.com

明治時代から現代までの日本酒についてみていきましょう。

酒税を導入! 国を挙げて日本酒の品質向上・安定供給をめざす

明治時代となり、富国強兵政策が推し進められるなかで導入されたのが酒税です。これにより、江戸時代の酒株制度は廃止され、資本があれば誰でも自由に酒造りができるようになった一方、売上や生産石数などに対して税金が課せられ、増税が図られました。

酒税が国にとって重要な財源になると、明治政府は円滑な徴税を目的に、酒類の自家醸造を禁止。それまで、全国各地の農家で醸造されて飲まれていた「どぶろく」が造れなくなりました。

また、国は日本酒の供給を安定させるため、国立醸造試験場(現・独立行政法人酒類総合研究所)を設立。全国新酒鑑評会を開催したり、全国新酒鑑評会で上位に入った蔵元の酵母を採集、培養し醸造協会(現・財団法人日本醸造協会)を通じて全国の蔵元に頒布したりするなど、国を挙げて日本酒の品質向上に力を注ぎます。

戦中・戦後の日本酒の状況

mot / PIXTA(ピクスタ)

戦中・戦後の日本酒を取り巻く状況

時代が移り変わり、昭和に入って太平洋戦争に突入すると、米の節約や戦費の捻出などが課題となり、国は庫出税(蔵出し税)などを導入。

やがて戦況が悪化すると、嗜好品である日本酒は存在すらしにくくなり、全国の蔵元は苦境に陥ります。この時期、多くの蔵元が統廃合を余儀なくされたことで、全国の蔵元数は、戦後半数になったともいわれています。

太平洋戦争後、物資不足が続くなかで造られたのが、水で薄めた醸造アルコールや糖類、酸味料、グルタミンソーダなどで醪の量をおよそ3倍にかさ増しした「三倍増醸酒(三増酒)」です。「三増酒」は、安価で入手しやすい酒として広まりました。

戦後の日本酒造り

masa44 / Shutterstock.com

日本酒需要が減少するなか、質を追求する酒造りへ

その後、高度成長期には日本酒需要が急増したものの、ビールやウイスキー、そのほかの洋酒を使ったカクテルや焼酎、ワインなど、競合酒類の人気が高まるにつれ、日本酒の消費量、生産量は減少していきます。

そうしたなか、地方の小さな蔵元が丹精を込めて造った質のよい地酒が人気となったり、吟醸酵母が開発されたことでフルーティーな香味の吟醸酒がブームとなったりするなど、日本酒の質に注目が集まります。

また、平成元年(1989年)に制定された「清酒の製法品質表示基準」によって特定名称が導入されると、かさ増しした「三増酒」に対して「本当の酒」「純粋な酒」というイメージが持たれた「本醸造酒」や「純米酒」の人気も高まり、一定の人気を博します。

日本酒業界では、近年、海外市場の開拓にも力を入れていて、輸出量を伸ばしています。遠くない未来に、世界中で日本酒が飲まれる時代がやってくるかもしれません。

長い歴史のなかで、技術を育み、質を高めてきた日本酒は、近年も発展を続けています。大手酒造メーカーから地酒を醸す地方の蔵元まで、創意工夫を重ねて造られるおいしい日本酒をぜひたのしんでくださいね。

(参考文献)
日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会(SSI)(2021)『新訂 日本酒の基』NPO法人FBO(料飲専門家団体連合会)

おすすめ情報

関連情報

日本酒の基礎知識
広告掲載について

ビア検(日本ビール検定)情報

イベント情報

おすすめ情報

Ranking ランキング

おすすめの記事