兵庫の日本酒【剣菱(けんびし)】500年にわたり愛され続けてきた代表的銘柄
「剣菱」は、室町時代の永正2年(1505年)に製造が開始され、江戸時代には日本酒の代名詞的な存在として絶大な人気を獲得。誕生から500年を経た現在も、広く愛され続けています。ここでは、長きにわたる「剣菱」の歴史と、受け継がれてきた酒造りへのこだわりを紹介します。
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「剣菱」の500年、5家にわたる歴史
出典:剣菱酒造サイト
「剣菱」は伊丹を代表する「下り酒」として名声を博す
「剣菱」の歴史は、室町時代の永正2年(1505年)、伊丹(いたみ)の蔵元、稲寺屋(いなでらや)によって始まったと伝えられます。
伊丹の酒は品質のよさで知られ、江戸時代前期には上方(かみがた)から江戸に運ばれて絶大な人気を博しましたが、「剣菱」もそんな「下(くだ)り酒」のひとつとして知られるようになります。
ちなみに、高級品を「下(くだ)りもの」、質の劣る品を「下(くだ)らないもの」と呼ぶようになったのは、この下り酒が起源だそうです。
「剣菱」の造り手は変わっても、その名声は変わらない
「剣菱」は、江戸時代中期に稲寺屋から津国屋(つのくにや)へ、明治期には稲野家、さらには池上家へと受け継がれます。
時代とともに造り手は変わっても、「剣菱」は常に日本酒の代表格として、全国的な認知度と人気を維持してきました。それは、歴代の造り手たちが、「剣菱」という銘柄に込められた歴史と伝統、そして「剣菱」ブランドに寄せられる飲み手の信頼と期待をしっかりと理解し、応えようと努力し続けてきたからに他なりません。
「剣菱」は昭和以降、“灘の剣菱”として再スタートを切る
「剣菱」は昭和4年(1929年)に白樫政雄氏に継承され、全国でも有数の酒処・灘の地で新たなスタートを切りました。これが、現在の剣菱酒造の始まりです。
“伊丹の酒”から“灘の酒”へと生まれ変わった「剣菱」ですが、今もラベルに残る「丹醸(たんじょう)」の二文字には、「剣菱」を生んだ伊丹の先人たちに対する敬意と、その歴史を受け継ぐ覚悟が込められているのでしょう。
「剣菱」を支え続けてきた「物」と「者」
出典:剣菱酒造サイト
「剣菱」を造るのは、先人の知恵が宿る「物」
「剣菱」の酒造りは、機械による近代化が進んだ現在もなお、昔ながらの木製道具と手作業を中心に行われます。
お米を蒸すための「甑(こしき)」や、麹造りに用いる「麹蓋(こうじぶた)」、酒母を温めて活性化させる「暖気樽(だきだる)」など、「剣菱」造りに使われる木製の容器は、いまやその造り手となる職人を探すのが困難なほど。それでも、受け継がれてきた「剣菱」の味を守り続けるために、昔ながらの「道具=物」を大切にしているのです。
「剣菱」は「物」を使いこなす「者」の手で育まれる
「剣菱」の味を支え続けるもうひとつの「モノ」、それが先人の知恵と職人の技がつまった「道具=物」を使いこなす「蔵人(くらびと)=者」です。
500年にわたり受け継がれてきた「剣菱」の味は、独自の製造法やノウハウによって生み出されるもの。今ではあまり見られなった木製の道具を使いこなし、手作業を中心としたこだわりの製法で醸される「剣菱」だからこそ、人々に愛され続けているのでしょう。
「剣菱」の“黄色く色づいた伝統の味”
出典:剣菱酒造サイト
「剣菱」は辛味と旨味のバランスのよい味わいが魅力
「剣菱」の外見的な特徴が、黄色く色づいていること。一般的に、日本酒は無色透明ですが、「剣菱」では、ろ過をし過ぎて旨味を逃さないように調整するため、淡い黄色が残っているのです。
“黄色く色づいた伝統の味”は、「剣菱」の味の濃さを示すもの。辛味と旨味がバランスよく調和した味わいで、冷やでも燗でもたのしむことができます。
「剣菱」の伝統の味を守る蔵元の“家訓”
剣菱酒造では、代々伝わる“家訓”を大事にしています。
そのひとつが、「お客さまからいただいた資金は、お客さまのお口にお返ししよう」というもの。この家訓にもとづき、「剣菱」を売って得られた利益は、すべての酒造りの品質向上に用いるのが同社の方針です。営業担当は社長のみ、広告はあえて出さないという、剣菱独自の姿勢には、こうした背景があるのです。
こうした歴史と伝統を重んじ、守り抜く同社の信念が、「剣菱」の変わらぬ味わいを支えているのでしょう。
室町時代に製造が開始され、幾多の先人達によって受け継がれてきた「剣菱」は、現在も変わらぬ味わいで人々に愛され続けています。500年以上にわたり守られてきた「剣菱」の“黄色く色づいた伝統の味”を、ぜひ、味わってみてください。
製造元:剣菱酒造株式会社
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