「灘五郷」はどうして“日本一の酒処”と呼ばれるの? 【日本酒用語集】《きき酒師監修》

「灘五郷」はどうして“日本一の酒処”と呼ばれるの? 【日本酒用語集】《きき酒師監修》
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「灘五郷」は、日本酒好きにとっては“聖地”とも言える、全国でも有数の酒処。とはいえ「灘五郷」と呼ばれる5つの郷(地域)をすらすらと言える人は少ないのでは? ここでは、灘五郷の構成や歴史、“日本一の酒処”と呼ばれる理由などを紹介します。

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「灘五郷」は酒造りが盛んな兵庫・灘の5つの地域の総称

「灘五郷」は酒造りが盛んな兵庫・灘の5つの地域の総称

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「灘五郷(なだごごう)」と呼ばれる5つの地域を一覧

「灘五郷(なだごごう)」とは、国内屈指の酒処として知られる兵庫県灘地域(兵庫県神戸市から西宮市にかけての沿岸部)のなかでも、とくに酒造りが盛んな5つの地域の総称です。
まずは5つの郷と、それぞれの代表銘柄を紹介しましょう。

【西郷(にしごう)】

灘五郷のなかでもっとも西側に位置する、現在の神戸市灘区にあたる地域。かつては「上灘(かみなだ)」と呼ばれた地域が、後に細分化され、その西側にあたる地域が「西郷」と呼ばれるようになりました。
「沢の鶴(さわのつる)」「金盃(きんぱい)」といった銘柄がこの郷で造られています。

【御影郷(みかげごう)】

神戸市東灘区の御影地域にあたります。かつての上灘の中央部に位置していることから「中郷(なかごう)」と呼ばれることも。
「白鶴(はくつる)」「菊正宗(きくまさむね)」「剣菱(けんびし)」など、灘を代表する銘柄の多くがこの郷で造られています。

【魚崎郷(うおざきごう)】

神戸市東灘区の魚崎・本庄地区を指し、かつての上灘の東部にあたります。他府県に本社がある酒造会社も含め、多くの酒蔵が並び、「松竹梅(しょうちくばい)」「櫻正宗(さくらまさむね)」などの銘柄が造られています。

【西宮郷(にしのみやごう)】

西宮市浜脇・用海地域の酒造地帯のこと。灘酒を支える重要な要素である「宮水(みやみず)」の産地で、灘の酒造りもこの地で始まったとされています。
「白鹿(はくしか)」「白鷹(はくたか)」「日本盛(にほんさかり)」など全国的な知名度を持つ銘柄がこの地で造られています。

【今津郷(いまづごう)】

西宮市今津地区の酒造地帯を指し、灘五郷のなかではもっとも東に位置します。「大関(おおぜき)」「扇正宗(おうぎまさむね)」などがこの地で造られています。

「灘五郷」には旨い酒を造るための米・水・技が揃っている

「灘五郷」には旨い酒を造るための「米」「水」「技」が揃っている

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「灘五郷」は高品質な酒造りに絶好の環境

「灘五郷」が酒好きから“日本一の酒処”と呼ばれる理由は、上質な酒造りに欠かせない3つの要素がすべて揃っていること。
まずは「米」。灘五郷の北に広がる六甲山の麓は、昔から良質な米が育つ穀倉地帯であり、“酒造好適米の王様”と呼ばれる「山田錦」の産地としても知られています。
次に「水」。江戸時代に灘地方で発見された「宮水」は、麹や酵母の栄養分となるミネラルが豊富で、酒造りには理想の水です。
最後に「技」。灘の酒造りを指揮するのは、日本三大杜氏に数えられる「丹波杜氏」。受け継がれてきた技術と、多くの蔵人を束ねる人徳。両者を兼ね備えた杜氏の存在が、灘の酒造りを根底で支えているのです。

「灘五郷」は酒造りだけでなく、日本酒の流通拠点でもある

「灘五郷」が酒処として栄えたもうひとつの理由に、流通拠点としての側面があります。
まだ貯蔵技術も不充分な江戸時代、鮮度を保ったまま日本酒を遠方に運ぶのは難しいことでした。その点、「灘五郷」は瀬戸内海の沿岸部に位置し、昔から海路交通の要地でもあったため、船で大量に運ぶことが可能でした。「樽廻船」と呼ばれる船で運ばれる灘の酒は、杉樽の香りとともに熟成されることで、より華やかさを増して消費地まで運ばれたのです。

「灘五郷」の発展が「くだらない」という言葉を生んだ

「灘五郷」の発展が「くだらない」という言葉を生んだ

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「灘五郷」の酒造りは室町時代に始まる

「灘五郷」で酒造りが始まった時期は、明確ではありません。伝承によれば鎌倉時代や室町時代にも酒造りが行われていたと伝えられています。
灘の酒造りが本格化し始めたのは江戸時代のことでした。寛永年間(1624~43)に伊丹から西宮に移ってきた蔵元が酒造りを開始。以降、灘周辺に多くの蔵元が誕生し、そのいくつかは現在までその歴史をつないでいます。

「灘五郷」が「下(くだ)り酒」の主役となったのは江戸後期

江戸時代の中頃までは、上方(かみがた)から江戸に運ばれる「下(くだ)り酒」の主役は池田や伊丹の酒でした。しかし、江戸中期になると、質の高い灘の酒が江戸の人々の人気を集めるようになります。
「下り酒」から転じて「下(くだ)りもの」が高級品の代名詞となり、逆に粗悪品や取るに足らないものを「下(くだ)らないもの」と呼ぶようになったのだとか。
それだけ、灘の酒=高級品という認識が、江戸の人々の間に定着していたということでしょう。

酒造りの伝統を今に受け継ぐ「灘五郷」には、酒造りの歴史を今に伝える文化財や博物館も多く、灘は日本酒文化を中心とした観光地としても人気です。「灘五郷」を訪れる機会があれば、“灘の生一本”を味わいながら、灘の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

清酒生産量全国1位の兵庫県。 その中心地「灘五郷」を訪ねました<前編>
「灘五郷」を訪ねました<後編> 若手が語る灘の今と未来。各蔵おすすめ銘柄にも注目!

監修者

伊東幸一

伊東幸一

(一社)日本ソムリエ協会認定ソムリエ、きき酒師、焼酎きき酒師、日本ビール検定1級、ビアジャーナリスト、フードアナリスト。
好奇心旺盛なため、お酒であれば何でも試してきました。いま最も好きなカテゴリーはビール。時間があれば飲食店や各種お酒関係のイベントに参加。

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