茨城の日本酒【大観(たいかん)】横山大観が愛飲した飲み心地よい酒
「大観」は、日本画の巨匠、横山大観氏に愛され、名づけられた日本酒です。巨匠の名を冠した酒を造る蔵元、森島酒造では、どんな酒造りが行われているのでしょうか。そして「大観」は、どういった味わいなのでしょう。「大観」とその蔵元の奥深き魅力に迫ります。
- 更新日:
「大観」蔵元のこだわりは徹底した手造り
bonchan /Shutterstock.com
「大観」を造る森島酒造が、茨城県日立市の北部に位置する川尻町に蔵を構えたのは、明治2年(1869年)のこと。蔵元のすぐ裏手は、太平洋が打ち寄せる川尻海岸となり、“もっとも海に近い蔵元”と呼ばれることもあるのだとか。
森島酒造の特徴は、手作業にこだわった酒造りです。効率の向上や品質の安定を求めて機械化していく蔵元が多いなか、森島酒造では、あえて伝統を重んじ、手造りによる酒造りを守り続けています。
たとえば、仕込み水には硬水に分類される阿武隈山地の伏流水を使用しますが、硬水は発酵が強く“放っておくと走る”と表現されるほど、見極めに慎重を要します。そこで発揮されるのが、経験からくる人の勘やひらめき。
機械だけでは補えない、人だからこその“絶妙な加減”を大切にし、限られた数量をていねいに造っていくという酒造りが、代表銘柄である「大観」にも貫かれているのです。
「大観」は日本画の巨匠、横山大観も認めた味
TK Kurikawa/Shutterstock.com
「大観」の名は、近代日本画の巨匠である横山大観氏が、自らの名にちなんで命名したもの。ラベルに揮毫された文字も横山氏の手によるものです。これは、酒豪で知られていた横山氏が、森島酒造の4代目と親しくしていたことがきっかけでした。
明治以来の歴史をもつ森島酒造は、戦時中の空襲によって蔵や家屋を焼失してしまいます。森島酒造4代目の森嶋浩一郎氏は、戦禍による深い傷跡を負った地元・川尻町の姿に一念発起。地域の復興に力を尽くすとともに、蔵の再開も果たすなど、精力的に活動しました。
そんな浩一郎氏の醸した酒を愛飲していた一人が、茨城県水戸市生まれの横山大観氏でした。その酒の旨さに加え、蔵と地元の再興に尽力する姿を称え、昭和28年(1953年)に自らの雅号である「大観」をその酒に与えたのです。
巨匠の名を冠した「大観」は、濃厚さと透明感をあわせもつ、個性光る日本酒です。その味わいは、「濃醇辛口」と評されることが多く、ふくよかでありながら、わずかに醸し出される酸味によって、クリアなあと味を実現しています。
「大観」は各種鑑評会でも高評価
ShutterOK/ Shutterstock.com
「大観」は、新しい名を得たことをきっかけに、さらなる飛躍を果たします。昭和30年(1955年)には、国内最古の日本酒品評会「全国新酒鑑評会」において、初めて金賞を獲得。その後も多くの品評会でその実力が認められ、全国区の銘柄に成長していったのです。
茨城を代表する銘柄となってからも、「大観」はその進化を止めることはなく、評価を高め続けています。
全国新酒鑑評会での入賞は2018年で通算10回目。その他にも、「SAKE COMPETITION」吟醸部門でのSILVER受賞、「インターナショナルワインチャレンジ(IWC)」大吟醸部門での銅メダル獲得など、国際的な日本酒品評会でも次々と入賞しています。
「大観」のめざす味わいについて、蔵元の6代目であり杜氏でもある森嶋正一郎さんは「魚に合う食中酒」というテーマを掲げています。森島酒造の目の前に広がる太平洋の恵みを引き立てる理想の酒を求め、現在、茨城県の新ブランド米「ひたち錦」や、多くの酒米の親とされる「雄町」を使った酒造りにも挑戦中。おいしい魚をアテに、ぜひ試してほしい1本です。
大量生産とはほど遠い、手造りにこだわり続ける森島酒造。横山大観が愛したのは、そうした日本酒造りへの実直な姿勢も含まれていたのかもしれません。「大観」は、日本酒のあるがままを堪能できる銘柄といえるでしょう。
製造元:森島酒造株式会社
公式サイトはこちら