マーケティング、広報、のちに店主。 夢をかたちにした「焼酎女将」に、会いに行く。

マーケティング、広報、のちに店主。 夢をかたちにした「焼酎女将」に、会いに行く。

JR新橋駅烏森口を出て徒歩1分ほど。夜になれば、多くのビジネスパーソンで賑わう通りに、焼酎楽味隠れ家「陽」(しょうちゅうたのしみかくれが「よう」)はあります。焼酎をこよなく愛するこの店の女将・仮谷陽さんに、開店までの経緯やその後の出会い、店づくりについて話を伺いました。

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「いつかはお店を」と思いながら、45歳まではバリバリの企業人

その日の仕込みで忙しいなか、慣れた手つきで準備を進めながら「飲み屋」開業へと至る経緯について話してくださいました。

仮谷さんが大学の英米文学科を卒業して、最初に入社したのはリース会社でした。その後、外資系IT企業3社でキャリアを重ねて、45歳の時に独立。長年の夢だった「飲み屋」を開くことになります。そもそも飲食店経営の道を目指すようになったのは、仮谷さんが20代の頃。最初の外資系企業への転職がきっかけだったそうです。

「外資系の会社に転職したのは、英語をもっと使えるだろうと思ったから。入社後は、社内公募制度を利用して以前から興味があったマーケティング職を経験しました。自分から手を挙げたのだから、それなりの結果を残したいと思って、しっかりと働きましたし、お酒を飲みに行く機会も増えていきました。ある時、ふと思ったんです。人と人をつないでくれるのは、こういう飲みの場じゃないかと…。そして、いつか語り合える空間を作れたらいいなと、漠然と考えるようになっていました」。

とはいえ、この時にはまだ具体的な構想があるわけでもなく、むしろ日々の業務を通じて、自分の可能性を広げていくことに手応えを感じていたのだと言います。その後、それまでにも経験してきた広報の仕事を極めたいと考え、2度目の転職を決断。ますます仕事にのめり込むようになっていきました。それでも飲み屋開業の夢は持ち続け、そのタイミングが訪れるのを静かに待っていたそうです。

「もともと人生の折り返しを迎えたら、人に雇われるのではなく、自分で生きたいなって思っていたんです。最初は折り返しを50歳に設定していましたが、40歳になった時に自分の体力が落ちてきたのを感じて45歳に変更することに。じつは42歳で3社目の会社を退職し、次の転職先が決まりかけていましたが、いまがその時じゃないのかと迷って、主人へ相談したところ、返ってきたのは『えっ、もう始めるの?』という言葉でした(笑)。それを聞いて、主人の心の準備も含めて迷いなく新たな一歩を踏み出したいと思って、開業を3年後の45歳に設定しました」。

バリアフリーな止まり木となれる空間を目指して

カウンターの後方に美しく並べられた酒瓶の数に圧倒されます。どれも仮谷さんが自らの舌で確かめて選んだものだそうです。

「3年後に開業する」と具体的な時期を宣言したことで、自分の気持ちが固まると同時に、その実現に向けて道が開かれていくのを感じたと仮谷さん。たとえば、現在もおつきあいが続く鹿児島の大手酒販店と出会えたのは、「店を開きたい」という仮谷さんの想いを聞いた友人からの紹介がきっかけだったそうです。このように「3年後の開業」という目標を定め、それを公言したことで、いろいろなことが少しずつ動き出していきました。

「年齢や性別、役職などの隔たりがなく、隣り合った人とも自然に会話が弾むようなバリアフリーな空間にしたい。働く人たちが仕事帰りにふらっと立ち寄れる、止まり木のような居場所を提供したいと考えていました。ですから、店を開くのはビジネス街と決めていましたし、駅から歩いて5分以内という条件で物件を探しました。でも、なかなか見つからなくて…。探し始めて半年後に、ようやく新橋から徒歩1分という理想の物件に出会うことができました」。

インテリアだけではなく、店で使う小物たちも愛情を持って選び、その日の客層に合わせて使い分けたり、空間に彩りを添えるようにしています。

店内のインテリアは、忙しい一日を過ごしてきたお客様がクールダウンして気分を切り替えていただけるように配慮したと、仮谷さん。「オフホワイトの壁とダークブラウンの落ち着いたトーンの木材で仕上げ、アクセントに太陽の赤を配しました。またゆっくりとくつろいでいただけるように、カウンターの奥行きを55cmとしたのも、私のこだわりです」。

開業前には、焼酎利き酒師や日本酒利き酒師、野菜ジュニアソムリエなどの資格を取得するなど、仮谷さん自身がお酒のスペシャリストとなって、とくに大好きな焼酎の素晴らしさを広く知ってもらうための準備も進めてきました。また、3泊4日の「焼酎と食材探しの旅」を決行し、焼酎の本場・鹿児島の焼酎や地元ならではの食材に触れ、揃えるべき焼酎や酒菜メニューのアレンジについても検討しました。そして2010年8月26日、ついに焼酎楽味隠れ家「陽」の営業がスタートしたのです。

「陽」というイベントを創っていくということ

焼酎の並べ方にも、女将ならではのこだわりが。仮谷さんが、この店の味の基準としているという「相良(さがら)」を中央に、それよりも重さのある銘柄を向かって左に、軽いものを右に並べています。

焼酎楽味隠れ家「陽」を開業した当初、仮谷さんは「異業種からの転身は大変だったでしょう」という言葉をよくかけられたそうです。「確かに、お酒や食材の仕入れ、業務用機器の使用など、不慣れなことも多く、不安だらけのスタートだったことは間違いないですが、不思議と異業種からの転身という意識はなかったですね。むしろ、マーケティングや広報の仕事を経験してきたからこそ、自分ならではの店づくり、居心地のよい空間の提供ができると考えていました」と仮谷さん。

「人と人とのつながりを大切にして、多くの人たちとコミュニケーションを図ることは、ビジネスの基本ですし、お酒や料理をお薦めするのは、広報として担当製品を記者の方に紹介することに通じます。店を運営するということは、『陽』というイベントを創っていくことなんじゃないかなって思っているんです。そして、これまでのキャリアを、お店の強みとして出していこうと考えてきました」。

ビジネスの第一線で働いてきたからこそ成り立つ会話があり、お客様のヒントになるような情報を提供できることもあると、仮谷さんは言います。また、一人で来店されたお客様に他の業界のお客様と話ができるようにアレンジすることで、新たな交流を生み、人脈を広げていただくお手伝いをすることも…。そして文字通り、焼酎の造り手や新しい銘柄との出会いを演出する「イベント」の開催にも、仮谷さんは力を注いできました。

「年に1〜2回は、お客様と共に鹿児島の蔵元をめぐるツアーを企画して、蔵の見学や造り体験をしていただいています。また、蔵元さんを店にお招きして、焼酎と地元の食材を使った料理を合わせてたのしんでいただく「焼酎の会」と呼ぶイベントも、定期的に開催してきました。杜氏の造りへの情熱を目の前に感じながら、いただく焼酎は、それはもう格別ですよ」。

女将が薦める焼酎のたのしみ方

奥行きのあるカウンターに座ると、それだけで気分が落ち着いてきました。目の前の女将との会話をたのしみながら、ついつい焼酎がすすんでしまいます。

「焼酎には、五感で味わうたのしさがある」と、仮谷さん。香りや味わい、甘みやコクはもちろん、その時に目にする店の佇まいや聞こえてくる会話、そして酒器の手触りも含めて、たのしめるお酒なのだと…。そして、原料自体の風味や使用する麹、製造方法の違いによって異なるそれぞれの個性を、飲み方にも変化をつけてたのしめるのが、焼酎の魅力だと言います。

「芋、米、麦と、原料によっていろんな味わいがあって、飲み方のバリエーションも多いので、お客様への提案の幅が広がるんじゃないかな。あらかじめ前割りにした焼酎を温めてたのしむこともできますし、炭酸で割ってすっきりといただくこともできる。お湯割りで香りをたのしむ方もいらっしゃれば、水割りやロックがお好みというお客様も。お客様が選ばれた料理と合わせて、お薦めの焼酎をご提案することもありますし、お客様が好む味わいや飲み方がはっきりしている場合には、それを記憶に留めて、お好みに合わせたご提案をしています」。

ご注文をいただいてから揚げる「さつま揚げ」は、一番の人気メニュー。具材は、定番のチーズに、2種類の季節の野菜を組み合わせた3種盛り。揚げたてのアツアツをどうぞ召し上がれ。

有機野菜や旬の野菜を使ったお惣菜も、酒飲みにはうれしい一品。この日の焼き野菜は、ニンジンのきんぴら。煮野菜は、大根のやわらか煮でした。美味しくなあれと、女将が愛情を降り注いで完成します。

仮谷さんは、人が好きで、人に興味があるので、お客様がその日、どの銘柄の焼酎を飲まれたのか、どんな会話をされていたのかは、とくに意識することがなくても、ほぼ記憶に残っているとか。そんな「女将の引き出し」には、これまで仮谷さんが飲んできた500種以上の焼酎の味わいや香りも刻まれています。この引き出しに納められた情報を出し入れし、来店されるお客様を想い、今日はどんな出会いがあるのかをたのしみにしながら、「陽」というイベントを開催しています。

焼酎楽味隠れ家「陽」
東京都港区新橋3-21-10 ORUBASビル2階
TEL:03-3578-3244
営業時間:17:30〜23:30(ラストオーダー フード22:30 ドリンク23:00)
定休日:土日祝

ライタープロフィール

川崎進

さまざまな領域を担当して、コピーライター歴37年。お酒関連の取材も多数。全国の取材先での人々やおいしいお酒との出会いをネタに、ほろ酔いエッセイの連載も経験。

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