【焼酎の起源】蒸溜の歴史から焼酎文化の成熟までを徹底解説!

【焼酎の起源】蒸溜の歴史から焼酎文化の成熟までを徹底解説!
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焼酎の起源をたどると「メソポタミア文明」にまでさかのぼります。海の向こうの蒸溜技術はどのようにして日本へ渡ってきたのでしょうか?ここでは、蒸溜技術のルーツから日本に広まるまでの歴史、日本で焼酎文化が成熟するまでを探ります。

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焼酎のルーツは紀元前の蒸溜技術にあり!?

焼酎のルーツは紀元前の蒸溜技術にあり!?

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蒸溜技術の歴史はメソポタミア文明にまで遡る

焼酎は、ウイスキーやウォッカ、ブランデーなどと同じ蒸溜酒です。ゆえに、蒸溜の技術なくしてはその歴史を語ることはできません。蒸溜酒造りに欠かせない蒸溜技術は、紀元前3500年ごろに古代メソポタミア(現在のイラクの一部)で発明されたといわれています。当時はお酒ではなく、香料の抽出に使われていたそう。

蒸溜酒が飲まれるようになったのは、それからさらに数世紀あとのこと。蒸溜酒がいつどこで生まれたのか正確な資料は存在しませんが、紀元前800年ごろのインドでは米や砂糖を原料とした蒸溜酒が、紀元前750年ごろの古代アビシニア(現在のエチオピア)ではビールを蒸溜したお酒が飲まれていたという記録が残っています。

蒸溜機のルーツはヘレニズム文化にあり

焼酎などの酒造りに使われている蒸溜機の歴史をたどると、紀元前4世紀以降のヘレニズム文化に行きつきます。ヘレニズム文化とは、ギリシャ文化とオリエント文化が融合した新しい文化のこと。ちょうどこのころ、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが、初めてお酒(ワイン)の蒸溜を行ったといわれています。できあがったものは、ブランデーのようなものだったとか。

イスラム錬金術とともに化学が発展した時代、アレクサンドリアの研究者たちが化学物質を蒸溜するために蒸溜技術の改良を重ね、8世紀ころに蒸溜機の元祖「アランビック」を生み出します。日本では「らんびき」の名で親しまれてきたこの蒸溜機は、アラビア人たちによって、中東各地や西洋諸国、そして東洋へと伝わっていきました。

東洋へ広まった技術は、インドやモンゴル、中国、タイ、朝鮮、日本などへと伝播し、さまざまな種類の蒸溜酒が生まれました。

焼酎の伝来秘話

焼酎の伝来秘話

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焼酎が日本に伝わったのは15世紀以降

焼酎がいつごろ日本へやってきたのか、正確な時期は明らかになっていませんが、李氏朝鮮519年間の歴史をまとめた『朝鮮王朝実録(李朝実録)』には、1477年(文明9年)ごろには琉球(沖縄)に蒸溜酒があったという記録が残されています。
ただし、琉球や離島などを除く日本国内で焼酎の話題が語られるようになるのは、もう少しあとのことになります。

焼酎伝来ルートは諸説あり

日本に伝わった焼酎の起源は、14世紀以降に東南アジアや中国で飲まれていた蒸溜酒と考えられていますが、伝来ルートや時期には諸説あります。

ひとつは、15世紀ごろにタイから近隣諸国との貿易拠点となっていた琉球を経由して伝わったという説。2つ目は、14〜15世紀に中国大陸や東シナ海に進出していた「倭寇(わこう)」と呼ばれる海賊が、南海諸国の蒸溜酒を取引品として日本へ伝えたという説。そして3つ目が、15世紀に朝鮮半島の高麗酒が壱岐や対馬へ伝わり、日本に焼酎が根付いていったという説です。

焼酎文化は室町時代には根付いていた

伝来ルートは諸説ありますが、室町時代の記録には九州ですでに焼酎が飲まれていたと記されていることから、伝来した時期は、ほぼこのあたりのようです。

室町時代後期の1546年(天文15年)、薩摩半島南端に半年間滞在していたポルトガルの商人ジョルジェ・アルバレスは、フランシスコ・ザビエルに送った報告書のなかで、日本で米から造る蒸溜酒が日常的に飲まれていることを伝えています。

同じく室町後期、1559年(永禄2年)に補修が行われた鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社には、「其時座主ハ大キナこすてをちやりて一度も焼酎ヲ不被下候 何共めいわくな事哉(施工主がケチで一度も焼酎を飲ませてもらえなかった。たいへん残念だ)」と書かれた棟木札が「永禄二歳八月十一日」という日付と宮大工2名の名前入りで残されています。

焼酎文化が成熟するまで

焼酎文化が成熟するまで

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本格焼酎の歴史

焼酎が日本に伝わった当初は米焼酎が主流でしたが、当時は米が年貢として徴収されていたため、自家製焼酎や一般向けの酒には不向きと考えられていました。そこで人々は、麦や雑穀、酒粕、18世紀初頭に薩摩の地へと伝わっていたさつまいもなど、さまざまな原料を用いて焼酎造りを行うようになりました。

試行錯誤を重ねながら製法を磨き、明治時代には二次仕込み法が登場。さらに大正時代、腐敗に強い黒麹菌が河内源一郎氏の手で分離・培養され、そこから白麹菌が見つかって以来、本格焼酎の製造技術はめざましい進化を遂げていきます。

甲類焼酎の登場と昭和の焼酎ブーム

甲類焼酎が登場したのは、1910年(明治43年)のこと。明治中期に連続式蒸溜機がイギリスから伝わったことにより、蒸溜酒の大量生産が可能になり、焼酎の可能性が大きく広がりました。

1970年代には薩摩酒造が手がける「白波」のテレビCMをきっかけに、第1次焼酎ブームが起こります。続く1980年代にはチューハイと麦焼酎が注目されて第2次焼酎ブームが巻き起こり、焼酎は幅広い世代に浸透していきました。

平成に起こった第3次焼酎ブームを経て、成熟期を迎えた焼酎業界。今後も技術や個性にさらなる磨きをかけ、飲む人の期待に応え続けることでしょう。

焼酎が日本で飲まれるようになって約500年の年月が過ぎようとしています。そのルーツをたどれば、さらに長い年月と人智によって育まれてきたものだということがわかりますね。焼酎を味わいながら、その歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょう。

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