河内源一郎氏が「近代焼酎の父」と呼ばれる理由とは? 【焼酎用語集】
河内源一郎(かわち・げんいちろう)という麹の研究者を知っていますか? 「麹の神様」「近代焼酎の父」とも呼ばれる河内氏の存在がなければ、現在の焼酎ブームはありません。ここでは、河内氏が焼酎界に残した功績について紹介します。
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河内源一郎氏が焼酎の歴史に果たした役割
出典:河内菌本舗公式サイト
河内源一郎氏と麹(こうじ)の出会いは幼少期から
河内源一郎氏は、焼酎造りに欠かせない麹(こうじ)の研究に生涯を捧げ、焼酎文化・焼酎業界の発展を支える数々の功績を残したことから、「麹の神様」「近代焼酎の父」と称えられています。
河内氏は明治16年(1883年)、広島県深津郡(現在の福山市)に誕生。味噌・醤油屋の息子として育ったため、幼少期から麹などの微生物がもたらす「発酵」という現象に興味を持ちました。河内氏の麹に対する情熱は、まさに生涯のスタートから始まっていたといえます。
河内源一郎氏が「近代焼酎の父」と呼ばれる理由
河内氏は、麹の研究のために大学進学を志したものの、家業が廃業に追い込まれたことで、進学をあきらめ大蔵省に入省。税務監査局の技師として九州南部に赴任し、それまでの知識と経験を活かして味噌・醤油などの製造指導のほか、この地の焼酎造りの指導にも関わります。
やがて南国での焼酎造りに適した「黒麹」の培養に成功した河内氏は、さらに研究を続けて新種の「白麹」を発見。それら麹菌の製造・販売に専念すべく、大蔵省を退官し起業します。
河内氏が研究・改良を重ねた麹菌は焼酎の品質向上に大きく寄与し、66歳でこの世を去るまで、麹の研究にその身を捧げました。
河内源一郎氏が情熱を燃やした麹とは?
河内源一郎氏が研究対象とした「麹」とは、米や麦などの穀物にコウジカビなどの微生物(種麹)を繁殖させたもの。麹はデンプンを糖に変える性質を持ち、古くから焼酎や日本酒、味噌、醤油などの製造に利用されてきました。
焼酎は芋や米、麦などさまざまな穀物を原料に造られますが、それら原料に含まれるデンプンを麹が糖に分解し、さらに酵母の力でアルコール発酵させます。麹を造る「製麹(せいきく)」と呼ばれる工程は、焼酎造りの第一歩であり、麹のできばえが焼酎の味わいや品質に大きな影響を及ぼします。
河内源一郎氏の功績(1):黒麹菌を分離・培養
出典:河内菌本舗公式サイト
河内源一郎氏が黒麹を発見した意義とは?
河内源一郎氏が焼酎界に果たした最初の功績が、「黒麹」の発見です。
黒麹には、それまで焼酎造りに使用されていた「黄麹」にはない、クエン酸を分泌するという性質があります。クエン酸には雑菌の繁殖を防ぐ作用があり、黒麹を用いることで、高温な南九州でも雑菌による腐敗を抑制できます。
河内氏が黒麹を発見したことで、南九州での焼酎造りの効率・品質は飛躍的に向上し、その普及拡大に大きく貢献したのです。
河内源一郎氏が発見した黒麹は、もともと泡盛造りに使用
河内氏が黒麹を発見したきっかけは、南九州よりもさらに南国の沖縄で造られていた泡盛に着目したことでした。
泡盛造りに使われる種麹を取り寄せて研究したところ、黄麹とは異なる特徴を示したものの、その特定には大きな苦労がともないました。寝食を忘れた研究の末に、ようやく焼酎造りに適した「泡盛黒麹菌」の分離・培養に成功。明治43年(1910年)のことでした。
河内源一郎氏の功績(2):白麹菌の発見
出典:河内菌本舗公式サイト
河内源一郎氏による「白麹」の発見秘話
河内源一郎氏のもうひとつの大きな功績が「白麹」の発見です。
黒麹の培養に成功したものの、それだけでは満足できなかった河内氏は、その後も地道な研究を続けました。
大正13年(1923年)、見慣れない淡褐色のカビを発見した河内氏は、これを培養した麹菌で焼酎を試作。黒麹での焼酎とはまったく異なる、クセのないまろやかな味わいの焼酎ができあがることがわかったのです。
「河内菌白麹」は黒麹の突然変異
この麹を詳しく研究したところ、黒麹の突然変異によって生まれた新種であることが判明。「河内菌白麹」と名付けられたこの麹は、クエン酸を生成するメリットはそのままに、焼酎の品質を格段に向上させることから、多くの焼酎蔵に採用されるように。
河内氏の研究から生まれた「黒麹」と「白麹」は、その後、日本の国菌として認定され、いまや本格焼酎の約8割に用いられています。
河内源一郎氏の死後も、その後継者たちは麹の研究を続け、現在も老舗種麹屋「河内菌本舗」として、さまざまな麹製品を製造・販売しています。河内氏の功績を詳しく知るためにも、一度サイトをのぞいてみてはいかがでしょうか。
製造元:株式会社河内源一郎商店
販売元:有限会社河内菌本舗
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