新たな時代の日本酒造りと全国の杜氏集団の今
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江戸時代に生まれた杜氏制度
もともと一年中作られていた日本酒が江戸時代に寒造りが主流になると同時に、冬季だけの半季奉公によって酒をつくる技能集団「杜氏制度」が発生しました。寒造り発祥の地である兵庫の灘では、酒造りの労働力を近隣の丹波から多く受け入れました。ここから丹波杜氏が生まれました。その丹波杜氏から技術を学んだ者たちが、それぞれの地域で技術を発展させ、酒造りの流派を生み出し、特徴のある醸造法を確立していったのです。
丹波杜氏と並び、日本三大杜氏と呼ばれているのは岩手の南部杜氏、新潟の越後杜氏です。かつては丹波杜氏、越後杜氏は大勢力でしたが、現在では南部杜氏が日本最大の杜氏集団とされています。
杜氏集団から蔵元杜氏へ。昨今の杜氏事情
1973年(昭和48年)をピークに日本酒の出荷量が減りだしたのをきっかけに、当時2000人ほどいた杜氏の数も徐々に減りだします。高度経済成長期に入り、出稼ぎ労働者の数も減ったため、杜氏集団の高齢化や人数減少が進んだことも一因でした。
また、蔵元側も醸造技術を社外の杜氏に頼らなければならない状況を危ぶんでいたため、杜氏を雇わず、蔵元自身が杜氏を務める蔵元杜氏や、通年雇用の社員杜氏が増えていきました。そこで小さな杜氏集団は淘汰されてしまいました。
平成に入ってからの吟醸酒ブームや純米酒ブームで日本酒が再び脚光を浴びるようになると、再び杜氏制度も息を吹き返します。岩手の南部杜氏は、講習会などで技術の研鑽に励み、門外不出とされてきた醸造技術を他県蔵人にも開放し、南部杜氏の認定制度を作りました。杜氏制度も新たな局面を迎えているようです。
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平成に入ってから増えた地元杜氏
かつての杜氏集団は、日本全国に赴いて酒造りに従事してきましたが、近年日本酒が見直される中、改めて地元杜氏を育てようという動きも各地で出てきています。
福島の会津杜氏、栃木の下野杜氏、富山杜氏は、平成に入ってから旗揚げされた杜氏集団です。どこもその土地の気候や風土に根差した日本酒造りを目指しています。福島にはもともと近くの岩手県から来た南部杜氏が多くいますが、地元杜氏として初めて組合を作り、福島ならではの酒造りを推進しています。
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蔵元自らが酒造りを手掛けるケースも
蔵元自身が東京農業大学や醸造試験場、または酒蔵で酒造技術の研鑽を積み、杜氏をおかずに自ら酒造りをする酒蔵も増えています。獺祭で大ブレイクした山口県の旭酒造は杜氏制度を廃止し、IT技術によるデータに基づいた酒造りを社員自らが行うことで、製造から販売までを一元化し、大成功を収めました。
最近では日本酒の醸造におけるさまざまな事柄が科学的に解明されてきたため、杜氏の流派による違いは少なくなりつつあります。また大学で醸造学を学んだ若手の杜氏も増え、日本酒の可能性を広げています。
「十四代」で有名な山形県村山市の高木酒造(株)や、東京大学卒後、様々な職種を経て家業を継ぎ、数々の改革で「異端児」とも言われる佐藤祐輔社長の新政酒造(株)に代表されるように、日本酒造りは新たな時代に入ったと言えるでしょう。
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