アサヒビールがたどってきた波乱の歴史を紐とく
アサヒビールは、キリン、サッポロ、サントリーと並んで「ビール4社」と呼ばれる国内大手ビールメーカーのひとつ。「スーパードライ」をはじめとした銘柄で知られるアサヒビールですが、今回はその創業時からの歴史を振り返ってみました。
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アサヒビールの前身となる大阪麦酒の設立は明治22年(1889年)
出典:アサヒビールサイト
「アサヒビール」は国産ビール産業の興隆期に誕生
アサヒビールの歴史が幕を開けたのは、今から130年前の明治22年(1889年)のこと。大阪・堺の酒造家である鳥井駒吉氏や、実業家の松本重太郎氏らによって「大阪麦酒会社」として創立されました。
同時期には、「キリンビール」のジャパン・ブルワリー・カンパニー、「サッポロビール」の札幌麦酒会社、「ヱビスビール(当時は恵比寿ビール)」の日本麦酒醸造会社が相次いで設立され、今日まで続く大手ビールブランドの誕生により、日本の国産ビール業界が一挙に興隆し始めたのです。
「アサヒビール」というブランド名に込められた想い
「アサヒビール」は、大阪麦酒の創業から3年目の明治25年(1892年)、大阪麦酒吹田村醸造所で誕生。日出づる国に生まれたビールへの誇りと、“旭日昇天”のごとき発展を願って「アサヒビール」と名づけられ、その名のとおり、昇る朝日のような成長を実現。本格国産ビールとして地元・関西を中心に人気を博し、ビール業界に不動の地位を築きました。
なお、この醸造所は現在も「アサヒビール吹田工場」として稼働中で、近代的なビール工場へと生まれ変わりながらも、随所に往時の姿をとどめています。
「アサヒビール」が社名となったのは、意外に最近のこと
出典:アサヒビールサイト
アサヒ、サッポロ、ヱビスの3ブランドのビールメーカーが合同
「アサヒビール」の人気とともに業績を拡大した大阪麦酒は、札幌麦酒や日本麦酒と業界トップの座を争うまでに成長します。
そんななか「いたずらに競争するよりも、団結して国際競争力の強化を図ろう」との目的で、上記3社が合同。明治39年(1906年)に国内シェア7割を占める日本最大のビール会社、大日本麦酒株式会社が誕生しました。
大日本麦酒から朝日麦酒、そしてアサヒビールへ
大日本麦酒は、その後、東洋最大のビール会社へと成長を果たしましたが、第二次世界大戦後の昭和24年(1949年)、過度経済力集中排除法の適用を受け、サッポロ、ヱビスのブランドを受け継ぐ日本麦酒株式会社(現在のサッポロホールディングス)と、アサヒのブランドを受け継ぐ朝日麦酒株式会社に分割されました。
この社名は昭和の終わりまで続き、現在の社名であるアサヒビール株式会社となったのは1989年。東京・浅草の新たなランドマークとなった本社ビルの竣工に合わせてのことでした。
アサヒビールが生んだ、数々の「日本初」
出典:アサヒビールサイト
アサヒビールは日本のビール業界の革命児
アサヒビールの現在に至る歴史を振り返ってみると、驚かされるのが「日本初」の多さです。
例えば、明治33年(1900年)には日本初のびん入り生ビール「アサヒ生ビール」を発売。昭和33年(1958年)日本初の缶入り「アサヒビール」、さらに昭和46年(1971年)には日本初のアルミ缶入りビールを発売するなど、今日の缶ビール文化を先取りしました。また、昭和44年(1969年)日本初のビールギフト券を発売するなど、現在ではビール業界の常識となっている取り組みを、いち早く実践してきたのがアサヒビールなのです。
アサヒビールの象徴、「アサヒスーパードライ」の誕生
アサヒビールが生んだ数々の「日本初」のなかでも、とくに重要なのが、昭和62年(1987年)に発売した、日本初の辛口生ビール「アサヒスーパードライ」です。
「洗練されたクリアな味・辛口」のキャッチフレーズどおり、雑味がなくキレのある味わいは、ビール業界に革命を起こす大ヒット商品となり、今もアサヒビールの代名詞的な銘柄として、確かな存在感を発揮しています。
アサヒビールは、現在も「アサヒスーパードライ」や「アサヒ生ビール」をはじめ、糖質ゼロの発泡酒「アサヒスタイルフリー」、新ジャンル「クリアアサヒ」など、さまざまなビール系飲料を展開しています。これら商品をたのしむ際に、アサヒビールの130年にわたる歴史を振り返ってみると、より深く味わえるかもしれませんね。
製造元:アサヒビール株式会社
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