いまや日本全国で造られている焼酎のルーツに迫る!
北から南まで、いまや日本全国で造られて、たのしまれているニッポンの酒・焼酎。その技術は、いつ、どこの誰から伝わったのでしょう? まだまだ謎の多い焼酎のルーツを探ります。
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焼酎造りはどこから伝わったのか?
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蒸留酒の歴史を辿ると、紀元前3000年頃のメソポタミア文明の遺跡から、蒸留に使われたと思われる土器が見つかっているそうです。酒の蒸留を初めて行ったのは古代ギリシャの哲学者・アリストテレスだとか。その技術は時代を経てやがて東洋に伝わり、各地で独自の蒸留酒が造られるようになりました。
日本では、稲作の始まった弥生時代に日本酒の原形となるものが造られていたといわれていますが、一方で、焼酎を造る技術は13〜14世紀頃に海外からもたらされました。この頃、中国大陸や東南アジアではすでに蒸留酒が造られており、日本に上陸するまでのルートとして4通りの説があります。
一つめは、倭寇(わこう)と呼ばれた日本の武装商船団が中国大陸沿岸、東南アジアなどに勢力を広げ、焼酎を取り引きしていたという南海諸国経路説。
二つめは貿易の交流があった朝鮮半島から壱岐、対馬を経て伝わったという朝鮮半島経路説。
三つめは、中国雲南地方から福建地方を経て、琉球に伝わったという説です。
南方から海を経て伝わった技術
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四つめは、14世紀頃の琉球王朝(現在の沖縄県)に、シャム国(現在のタイ)やマラッカなどの東南アジアから伝わったという琉球経路説です。
琉球王国がシャムから「南蛮酒」という酒の輸入をはじめたとされ、これが「泡盛」の起源ではないかといわれています。また、この琉球王国で造られた蒸留酒が贈答品として薩摩藩の島津家に贈られたという記録や、王朝内で古酒を貯蔵する様子が朝鮮の歴史書に残されています。これが、後に現地で生産される原料で造られるようになり「焼酎」と呼ばれるようになった、という説です。
そして、技術は再び南へと…
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2017年夏、カンボジアで造られた焼酎の販売開始がニュースになりました。
元PKO隊員で、その後も現地で地雷処理と復興支援のNPO活動に従事している日本人男性が、村の自立発展を目的に日本の酒造メーカーの協力を得て完成させた焼酎「ソラークマエ(赤)」。いまも地雷除去が続けられているオ・アンロック村は、土壌が肥沃で良質のキャッサバ芋を栽培することができ、その芋を使って何かできないかと考えたのが始まりだったそうです。
約600年前に南方から伝わり進化した蒸留酒の技術が、今度は再び南へと伝えられていく壮大な歴史の中の1ページ。酒の伝播の歴史はまだまだ続いていくのです。