【3級 vol.1】ビア検(日本ビール検定)予想問題! 回答と解説編
ビア検(日本ビール検定)の予想問題はいかがでしたか? 回答と解説で検定に備えるとともにビールの知識を深めてくださいね。
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問題1 日本初のビール醸造場
問題
日本初のビール醸造場は、次のうちどれか。
(a)ジャパン・ブルワリー・カンパニー
(b)スプリング・バレー・ブルワリー
(c)渋谷ビール
(d)ジャパン・ブルワリー
正解
(d)ジャパン・ブルワリー
解説
(a)のジャパン・ブルワリー・カンパニーは、1885年創業
(b)のスプリング・バレー・ブルワリーは、1870年創業
(c)の渋谷ビールは、1872年創業。日本人初のビール醸造場。
(d)のジャパン・ブルワリーは、1869年に横浜の外国人居留地に開業した日本初のブルワリー
となっています。
(日本ビール検定公式テキスト2020年4月改訂版P.109に掲載)
問題2 最初にビールを飲んだ日本人
問題
最初にビールを飲んだ日本人として名前が記録されているのは、次のうち誰か。
(a)川本幸民
(b)玉虫左太夫
(c)渋谷庄三郎
(d)岩崎弥之助
正解
(b)玉虫左太夫
解説
玉虫左太夫は、1860(万延1)年に遣米使節団に参加した際に、彼が記録した「航米日録」の中に「苦味ナレドモ口ヲ湿スニ足ル」と記録しており、ビールを飲んだとされています。
(日本ビール検定公式テキスト2020年4月改訂版P.108に掲載)
問題3 ビールについて著書で記した歴史上の人物
問題
ビールは、コミュニケーションを促進しやすいお酒と言われていますが、「其味至て苦けれど、胸膈を開く為に妙なり」と、その著書で記した歴史上の人物は誰か。
(a)渋沢栄一
(b)福沢諭吉
(c)中川清兵衛
(d)馬越恭平
正解
(b)福沢諭吉
解説
日本の酒税法ではビールは下記のように定義されています。
福沢諭吉が1867(慶応3)年に片山淳之介の名前で著した「西洋衣食住」の中で、ビールについて「其味至て苦けれど、胸膈を開く為に妙なり」と記しています。「胸膈を開く」とは、腹を割って話す、友達になるという意味があります。
(日本ビール検定公式テキスト2020年4月改訂版P.13に掲載)