「麦酒(ばくしゅ)」の読み方が「ビール」になったのはなぜ?

「麦酒(ばくしゅ)」の読み方が「ビール」になったのはなぜ?
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「麦酒」とはビールのことで読み方は「ばくしゅ」です。日本のビールはオランダから伝わったといわれていますが、どのような経緯を経て、日本語で「麦酒」「ビール」と呼ばれるようになったのでしょうか。今回は、文献などに残るビールの読み方や文化について紹介します。

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「麦酒」の読み方って? 「麦酒」と「ビール」の語源

「麦酒」の読み方って? 「麦酒」と「ビール」の語源

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「ビール」の語源はラテン語の「飲む」

そもそも「ビール」は、オランダ語やドイツ語では「bier」(ビーア)、英語では「beer」(ビア)、フランス語では「biere」(ビエーレ)といいます。

これらの語源についてはさまざまな説があり、ラテン語で「飲む」を意味する「bibere」(ビベール)が有力視されていますが、ゲルマン語で「大麦」「穀物」を意味する「beuro」(ベウロ)が語源とする説もあります。

ちなみに、ほかの国の「ビール」の呼び方は以下のとおりです。

◇イタリア語「birra」(ビルラ)
◇スペイン語「cerveza」(セルヴェーサ)
◇ポルトガル語「cerveja」(セルヴェージャ)
◇ロシア語「pivo」(ピーヴォ)
◇中国語「啤酒」(ピーチュー)


では、なぜ日本での呼び名が「麦酒」や「ビール」になったのでしょうか。

江戸時代の文献に「麦酒」と「ビイル」が登場

日本の文献に最初にビールに関する話題が登場するのは、江戸時代の中期のこと。1724年(享保9年)、オランダ通訳官の今村市兵衛と名村五兵衛が著した『和蘭陀問答(おらんだもんどう)』に、オランダ人が飲む酒について以下のように書かれています。

「酒はぶどうにて作り申候。また、麦にても作り申候。麦酒給(たべ)見申候処、殊の外悪敷物(あしきもの)にて何のあぢはひも無御座候。名をビイルと申候」

ここに書かれている「ビイル」は、オランダ語の「bier」を音訳したもの。それを「麦酒」と意訳したのは著者の今村市兵衛と考えられています。

なお、この「麦酒」という訳語は戦前まで使われることになります。そして「ビイル」は、今日の「ビール」という呼称の由来にもなったのです。

江戸時代の日本で「麦酒」はどう飲まれていた?

江戸時代の日本で「麦酒」はどう飲まれていた?

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江戸時代のビールは薬だった!?

鎖国政策をとっていた江戸時代には、国交があったオランダ語を通じて西洋の学術や文化・芸術を学ぶ蘭学が発達。前述の『和蘭陀問答』をはじめ、蘭学書のなかには、ビールに関する記述がたびたび登場します。

杉田玄白や前野良沢の弟子である大槻玄沢の『蘭説弁惑(らんせつべんわく)』では、「硝子諸器」「葡萄酒」「写真鏡」といった西洋の文物が挿し絵つきで紹介されています。ビールを飲む器「びいるがらす」についても触れられていて、ビールそのものについても次のように記されています。

「『びいる』とて麦にて造りたる酒あり。食後に用るものにて飲食の消化をたすくるものといふ」

ビールの味ではなく健康上の効用について語られていることから、西洋のお酒が現代とは違う捉えられ方をされていたことが想像できます。

なお、西洋から入ってきた食べ物や飲み物を薬のような「体によいもの」とする考え方は、明治時代まで続いたといわれています。

蘭学者の辞書に「ビール」の項目が立つ

江戸時代後期には、蘭日辞書にビールに関する項目が立てられるようになりました。

◇『類聚紅毛語訳(るいじゅこうもうごやく)』(1798年・寛政10年)
森島中良編『類聚紅毛語訳』には、飲食の部に「麦酒 ビール」の項目があります。

◇『ハルマ和解(わげ)』(1796年・寛政8年)
大槻玄沢の門弟・稲村三伯たちが編集した書物で、本格的な蘭日辞書として名高い『ハルマ和解』にもビールの項目が立てられています。ただし、こちらには「ビール」でなく「麦酒」と記されています。

◇蘭日辞典『ドゥーフ・ハルマ』(1833年・天保4年)
オランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフが編んだ蘭日辞典『ドゥーフ・ハルマ』には、ビールに関する項目や用例が30ほど掲載されています。

◇『和蘭字彙(おらんだじい)』(1855~58年・安政2~5年)
非常に高価な辞書として知られた『和蘭字彙』にも「ビール」の文字が見られます。

これらの書物を通して、江戸時代の蘭学者や蘭学を学ぶ者たちは「ビール」の名を知ることになりました。

ただ、福沢諭吉が1867年(慶応3年)に著した『西洋衣食住』には、「『ビイール』と云ふ酒あり。是は麦酒にて、その味至て苦けれど、胸隔を開く為に妙なり」と書かれていて、「ビイール」という表記も使われていたと考えられます。

明治時代の「麦酒」と「ビール」

明治時代の「麦酒」と「ビール」

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明治時代の新聞では「ビール」「麦酒」と表記

明治時代に入ると、横浜山手の居留地でビールの製造が始まります。地元の人たちはビールを「ビアザケ」と呼びましたが、当時の新聞では「ビール」や「麦酒」と記されることが多かったようです。

また開国以来、日本では英語学習が盛んになっていきますが、英語で「beer(ビア)」と書くことは少なく、「ビール」や「ビイル」、「麦酒」と記していたといわれています。

なお、1871~1873年(明治4~6年)に、岩倉具視を特命全権大使とする「岩倉遣外使節団」が、米国および欧州諸国を視察したことは有名ですが、その際にイギリスをはじめヨーロッパのビール醸造所やビアホールなどを見学し、各国の消費状況を調査したと伝わっています。このときの一行の調査は、日本のビール醸造に少なからず影響を与えたことでしょう。

明治中期以降、「ビール」が国語辞典にも載るように

明治期には、「ビール」という言葉が国語辞典に掲載され、「ビール」という呼び方が一般的になっていきます。明治後期に登場したビアホールでは、ビールは英語風に「ビーア」とも呼ばれていたようです。

一方、書き言葉としての記述では、明治中期の近代的な国語辞典には、当初「ばくしゅ」はあるものの「ビール」の項目はなかったようです。時を経て、高橋五郎著『漢英対照 いろは辞典』(1888年・明治21年)には、「麦酒」の説明として「ビール」という表記が使われていました。

その3年後の、1891年(明治24年)に刊行された大槻文彦編『言海(げんかい)』において、「ばくしゅ」とともに「ビイル」の項目が立てられました。

大正時代になると、日本初の外来語辞典『舶来語便覧』(1912年・大正元年)には、「ビール」「ビーア」「ビーヤ」の項目がありますが、このころの世間では「ビール」というのが一般的だったといわれています。こうして、「ビール」という呼び方が定着していったのです。

「麦酒」の読み方からビールの歴史を振り返ってみると、ビールは考えているよりも歴史深いお酒であることがわかります。現代では「麦酒」と呼ぶことはほとんどありませんが、メーカーの名前などで見ることができます。歴史に想いを馳せながら、ゆっくりとビールをたのしんでみてはいかがでしょう。


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