花からの贈り物“花酵母”で酒を醸す酒蔵 〜岐阜県郡上市・原酒造場〜

花からの贈り物“花酵母”で酒を醸す酒蔵 〜岐阜県郡上市・原酒造場〜

日本酒造りにおいてアルコールの生成に欠かせず、酒の香味にも大きく影響する「酵母」。日本醸造協会が全国の蔵元に頒布している「きょうかい酵母」の使用が一般的ですが、近年、日本酒ファンの間では、自然界に咲く花々から採取した「花酵母」に関心が高まっています。全量を花酵母で醸す原酒造場で話をお聞きしました。

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岐阜県郡上市「布屋 原酒造場」

岐阜県のほぼ中央に位置し、雄大な自然に囲まれ、日本屈指の名川・長良川をはじめ、多くの一級河川を持つ郡上市で、江戸時代から酒造りを行う「布屋 原酒造場」。
創業は1740年(元文5年)。古くは鎌倉時代より先祖代々“縁起のよいもの”とされてきた「布」を屋号とし、創業時に建てられた酒蔵で酒造りを続け、現在の当主、原元文さんで十二代目となります。

正面の主屋は袖壁を従えた、風情あふれる町家建築。

正面の主屋は袖壁を従えた、風情あふれる町家建築。

「元文」は代表銘柄名であり、原社長の名前でもあります。

「元文」は代表銘柄名であり、原社長の名前でもあります。

“イーストサイジン”の研究に励んだ大学時代

原さんは地元の高校を卒業後、東京農業大学醸造学科へ進学。卒業を控えた4年目に、当時指導を受けていた中田久保先生から、「“イーストサイジン”の研究を卒論のテーマにしてはどうか」と打診があり、興味をひかれ、研究に取り組みました。
“イーストサイジン”とは、竹田正久教授が名付けた抗菌性物質で、当時、初期の論文以外の資料がほとんどなく、未知なる研究が始まりましたが、なかなかその正体を突き止めることはできなかったと原さんは振り返ります。

(原さん)「大学ではそれまで清酒の発酵や醸造について学んでいたので、また違った研究ができると興味が湧きました。休みの日も大学へ通うほど没頭しましたね。
イーストサイジンは、清酒酵母と、他の醸造酵母群を区別する際、優良なものを選別してくれる抗菌性物質だというのはわかりましたが、研究はそこまでで終了し、卒業を迎えました」。

培養した“イーストサイジン”の画像。

培養した“イーストサイジン”の画像。

原さんが大学時代に書いた卒業論文の下書き。

原さんが大学時代に書いた卒業論文の下書き。

「花酵母」との出合い

卒業後は一般企業へ勤めた後、地元へ戻り酒造りの世界へ。そんななか、ある日、大学時代の恩師、中田先生から連絡を受けました。

(原さん)「中田先生は、焼酎酵母の自然界からの分離を専門に研究をされていましたが、研究が一段落したタイミングに、ふと“イーストサイジン”を思い出し、清酒酵母へ応用してみようと、培養液にナデシコの花とイーストサイジンを入れて醗酵試験を試みたそうです。すると、優良な“花酵母”の分離に成功し、その酵母でお酒を醸したところ、華やかな香りを持つ清酒ができたと報告を受けました。
(花酵母が生まれたきっかけが)『おまえのやっていたイーストサイジンだぞ』といわれた時にはハッとさせられましたね。イーストサイジンを応用して、清酒用の酵母に活用する発想はまったくなかったので、研究していた頃にどうしてそこに気づけなかったのかと、脳天を叩かれたような衝撃を受けました(笑)。

実際にお酒を試飲してみると、今までの日本酒では味わったことのない香りと味わいで、さらに驚きました。これが日本酒なんだろうかと。そこから中田先生は、ナデシコ以外の花、日々草、つるばら、アベリアなどからも優良な酵母の分離に成功されました」。

原酒造場での酒造りに使用している、培養した花酵母。

原酒造場での酒造りに使用している、培養した花酵母。

「きょうかい酵母」と「花酵母」

お酒造りに一般的に使用されている酵母は、酒の醪(もろみ)から分離したもので、近年はこれらの酵母を人工的に変化(変異株の造成)させて、特定の醸造能力を高めた酵母も多く利用されていますが、花酵母は、自然界に咲く花々から分離し、イーストサイジンとともに培養することで、清酒酵母と他の醸造酵母群(ビール酵母・ワイン酵母等)を区別し、清酒造りに適した優良な酵母が選抜されます。まさに、花からの贈り物というべき、天然の酵母なのです(東京農業大学 花酵母研究会のカタログより抜粋)。

2003年に設立された「東京農業大学 花酵母研究会」のカタログ。

2003年に設立された「東京農業大学 花酵母研究会」のカタログ。

全量「花酵母」で酒造りを

花酵母はそれぞれの花によって醸し出す香味に特長があり、それにともなって日本酒の酒質にも違いが生まれることがわかりました。原さんは、その多様性に大きな可能性を感じ、毎月、岐阜県から東京農大の中田先生の元へ足を運び、試験醸造の醪(もろみ)の発酵の状態を確認し続けました。
そして4年後、ついに自社で醸造する日本酒をすべて「花酵母」で仕込む決意を固めます。

(原さん)「それまでは、日本醸造協会が頒布する「きょうかい酵母」を使用して酒造りをしていましたが、自分のなかに、どこか納得がいかない部分があったんです。新しく開発された「きょうかい酵母」なども試しましたが、新酒のときはよくても、貯蔵をしていくと状態に解離がおきて、酒質が安定しない気がしていました。また、「きょうかい酵母」はお米を磨いて(高精米して)使用するものといわれていましたが、酒米を磨かなくてはならないことにも疑問がありました。
中田先生は、『花酵母の場合、米はあまり磨かなくてもよい』とおっしゃっていましたし、花酵母の多様性への期待も高まっていたので、自社のお酒を全量花酵母で仕込む方向に切り替えました」。

タンクには使用した花酵母の花の名前が。

タンクには使用した花酵母の花の名前が。

「花酵母」周囲の反応は

それまで試験的に花酵母を使用した酒造りを行ってきて、ある程度の感覚を掴めたこともあって全量花酵母へと切り替えた原さんでしたが、1年目は思うような酒造りができず、納得するお酒ができなかったそうです。

(原さん)「1年目は「きょうかい酵母」の造りが頭から離れず、どうしても不安が生まれてしまい、それまでの造り方で進めてしまったんです。結果、香りや味わいをうまく出せず、花酵母のお酒のよさを生かせなかった。
中田先生には、『俺のいうことを聞かないからだぞ』と叱られましたね(笑)。

花酵母に切り替える話は、地元の飲食店にまで伝わっていて、『今までの酒の味を変えるつもりなのか』とか、『あそこはもう普通の酒を造らないみたいだぞ』など、否定的な声が聞こえてきました。税務署の方からは「どうして“きょうかい酵母”を使わないんだ」と。
でも、自分が関わっていて生まれた花酵母でしたし、それをやりたいと思って取り組んでいることに否定はされたくなかったですね。

2年目からは、中田先生に教わった通り、従来の酒造りとはまったく別の、花酵母用の特別な酒造りを徹底しました。
花酵母はとてもパワーが強く、醪(もろみ)が活性して発酵が進みすぎてしまうのですが、それを独自の方法でコントロールしていくんです。しばらくは試行錯誤を繰り返しましたが、少しずつ酒質も安定してきて、4〜5年後には「これでいける」と手応えを感じました。

ある時、中田先生が郡上まで来られたのですが、夜お酒を飲み交わした時に一言、「うまい!」とおっしゃったんです。それを聞いてホッとしたのを覚えています。
学生時代からとてもお世話になった大切な恩師ですが、残念ながら2019年5月にお亡くなりになりました。先生には、花酵母と出会わせてもらい、たくさんの指導をいただき、とても感謝しています。

恩師である故・中田久保先生の「イーストサイジン」に関する研究論文。

恩師である故・中田久保先生の「イーストサイジン」に関する研究論文。

「花酵母」のこれから

酒質は安定したものの、やはりまだ一般消費者の反応が薄い「花酵母」。原さんは、コンクールで高い評価をもらうことができれば、花酵母のお酒が認知されるきっかけになるのではないかと考え、今から10年前に、全国酒類コンクールへ初めて出品しました。

(原さん)やはりまだ知らない人が多く、「花こうじ」と間違える人も。そこで、その時の完成度が評価される新酒鑑評会ではなく、あえて消費者が普段飲むお酒をメインにしたコンクールに出品しました。
最初の数年は10位以内には入るものの上位入賞は叶わず、何が違うのだろうかと考えました。そこで、“思い切って造ろう ”と決めたんです。とても感覚的なことなのですが、花酵母の酒らしく割り切って造りました。すると翌年1位をいただき、それからずっと続いています。お陰さまでファンも少しずつ増えてきていて、とてもうれしいですね。

令和元年は「さくら」「月下美人」で一位を獲得。

令和元年は「さくら」「月下美人」で一位を獲得。

(原さん)花酵母で酒造りを始めてから15年が経ちましたが、本当にあっという間でした。
日本酒業界のなかでも少しずつ浸透してきて、自分も三代目の会長を務めた農大の花酵母研究会の加盟蔵も増えきました。また、花酵母も20種類以上が分離され、実際に14種類が製品化されています。

現在の商品ラインナップは、さくら、つつじ、菊、月下美人。 以前、外国人が試飲した際、「All different!(すべて違う味!)」と感激したそう。

現在の商品ラインナップは、さくら、つつじ、菊、月下美人。
以前、外国人が試飲した際、「All different!(すべて違う味!)」と感激したそう。

ラベルには「天然花酵母仕込み」「花からの贈り物」と記載。

ラベルには「天然花酵母仕込み」「花からの贈り物」と記載。

(原さん)興味を持った酒蔵が話を聞きにいらっしゃることもありますが、私が知っている情報はすべて包み隠さずお伝えしています。
簡単には使いこなせない難しさがあり、いきなり始めるとマイナスになることばかりかもしれませんが、根気よく自分の酒蔵の環境と花酵母との相性を探り、うまく導くことができれば、天然の酵母でオリジナルの味が生まれ、バラエティに富んだ酒を造ることができ、日本酒業界のさらなる発展にもつながっていくと思っています。


今後は花だけじゃなく、自然界からさまざまな酵母が生まれるのではないかと話す原さん。
日本酒の持つ可能性とこれからの展開に、期待が高まります。



布屋 原酒造場
http://genbun.sakura.ne.jp

ライタープロフィール

阿部ちあき

日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会認定 きき酒師 日本酒・焼酎ナビゲーター公認講師
全日本ソムリエ連盟認定 ワインコーディネーター

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