長野・宮坂醸造「真澄」〜代々受け継がれ続けた酒造りへの情熱と新たな挑戦とは〜

長野・宮坂醸造「真澄」〜代々受け継がれ続けた酒造りへの情熱と新たな挑戦とは〜

長野県を代表する日本酒として真っ先に名前があがる銘柄「真澄」。“七号酵母発祥の酒蔵”として日本酒界の歴史に名を刻み、全国の日本酒ファンから厚い信頼を寄せられている醸造元の宮坂醸造を訪問し、伝統を守りながら、さまざまな変革を遂げてきたこれまでの歩みや、今後の新たな取組みについてお話をうかがいました。

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「真澄」ブランドの確立へ

勝氏から経営を引き継いだ息子の宮坂和宏氏(現・顧問)は、自社による配送システムへの変更やメディアでの広告展開、酒販店との直接取引や首都圏の市場の開拓、大阪万博の出展など、従来の業界の常識を覆す改革を次々に行いました。
また、「諏訪蔵」に続いて、八ヶ岳を望める自然環境に恵まれた高台に「富士見蔵」を設立し、酒質の向上や製造量を増加しました。

(直孝社長)『祖父は真澄の酒質を高める技術に力を注ぎましたが、父はマーケティングに注力し、「真澄」のブランドを確立しました。時代の先を読み、販売面も含めたさまざまな近代化を進めましたね。祖父と父の二人の努力がつながり、今の「真澄」の礎が作られたと思います。』

1982年(昭和57年)に諏訪郡富士見町に設立された富士見蔵。

全国新酒鑑評会や国内外のコンクールなどで毎年高い評価を受けている。

留学、百貨店勤務の経験を生かした改革

現在社長を務める直孝氏は、東京の大学を卒業後、米国の大学に留学。帰国後2年間の百貨店勤務を経て宮坂醸造へ入社、2006年に社長に就任しました。地元長野で親しまれていた真澄は、全国、そして海外へとファンを拡大していきました。

(直孝社長)『私が宮坂醸造へ入社した83年は、生産した9割近くが県内で消費されていました。造っていたのは圧倒的に普通酒が多く、地元の方たちに根強く支持され、経営も安定していました。

数年後、首都圏の得意先を担当するようになると、東京で売れている他社の優れた酒を知り、また、業界内で純米酒化が進む傾向や、真澄が県外の皆さんには知られていないことなど、長野にいると気づけなかった現状を目の当たりにしました。危機感を感じ、先代に「特定名称酒」の割合を増やすことを提案。酒質の向上をさらに強化し、販路を広げていきました。のちの日本酒低迷期は、うちも石数(生産量)こそ減ってはいきましたが、特定名称酒の比率は年々上がっていきました。』

富士見蔵には精米機が8台あり、原料米は全量自社で精米を行っている。

(直孝社長)百貨店時代は、婦人服の部門に配属されましたが、婦人服売り場は季節性があり移り変わりが早いのに、日本酒の販売の世界には季節感がないことに違和感を感じ、当時「生酒」や「搾りたて」などが出始めていたので、季節商品として販売しました。

また、米国留学時代、大学でのケーススタディで日本酒の国際化について研究しましたが、その経験を生かし、展示会の出展や子会社の設立など海外進出も始めていきました。他社に比べると早かったように思います。
こうして振り返ると、過去の経験がさまざまな場面で生きていきましたね。』

97年、酒蔵の一角にオープンした蔵元ショップ「セラ真澄」。

宮坂醸造のアイデンテティとは

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