たのしいお酒.jp

我らお酒にひと言あり 六酒仙、かく語りき

吉田類の居酒屋 各駅停車の旅

Vol.8 『天満酒蔵(てんまさかぐら)』

いい酒場は実のところ、どこの街にもあるものだ。
今夜、飲みたいお店が見つかっていないのだとしたら、
それはあなたが、いい酒場の見つけ方を知らないだけかも。
日本中の酒場を渡り歩いてきた吉田類さんが、
各駅停車で旅するように街々の名店を訪れ、飲み、食い、語らいながら、
街へ、店への愛を語ります。

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「吉田類の居酒屋 各駅停車の旅」第8回目はここ大阪からお届けする。それも東京の下町にあるような、いや、それ以上に思いっきり大衆的な酒場が今宵の舞台である。 と、その前にちょっと寄り道してはどうだろう。せっかく大阪まで来たのだから酒場だけしか楽しまないのでは、あまりにもったいない。ここはひとつ大阪の空気を肌で感じようではないか!
新大阪駅から地下鉄を乗り継いで、南森町駅で下車。最初に目指すのは「大阪天満宮」だ。通称「天満の天神さん」は、毎年7月に開催される日本三大祭のひとつ天満祭でも名高く、大阪庶民の間では学問の神様としても知られる神社。当然、この時分であれば、合格祈願の参拝客は後を絶たないが……。飲んべえが手を合わせて願うことといえば、それはたったひとつ。
「今宵もいい酒と出会えますように…」

さあ、天神さんを後にしたら、次は天神橋筋商店街へ。ここから北へ歩いていけば、「天満酒蔵」へは20分足らずでたどり着く。といっても、すんなり行けばの話である。というのも、天神橋筋商店街といえば日本一の長さを誇る商店街。天神橋1丁目から7丁目まで続く総延長は約2.6㎞にも及ぶ。都内でもっとも長いとされる戸越銀座商店街は約1.3㎞。その倍もの長さがあるというからすごい。
その2.6kmの、両手を広げれば向かい同士の店に届きそうなほどの小路に、およそ600もの店が建ち並んでいる。それらの店を冷やかしながら歩けば、“20分足らず”では済まなくなるのは当然のことだろう。総菜屋の名物コロッケに目を奪われ、レトロな用品店に好奇心をくすぐられ、見知らぬおばちゃんの話に足止めをくらい、たこ焼き屋の匂いに腹を鳴らし……。20分のはずがあっというまの1時間オーバー。大阪の庶民のパワーを目の当たりにできるだろう。そうこうして、天満駅を過ぎれば酒場はもうすぐだ。100mほどで今宵の目的地に辿り着く。

さて、この「天満酒蔵」がどんな酒場といえば、とにかく安く飲める酒場であり、大阪の人情が息づく店ということになるのだろう。まずは、酒場の基本であるビールを例に、その安さにフォーカスしてみる。東京の赤羽に「立ち飲み いこい本店」という店があるのを飲んべえなら一度は耳にしたことがあると思う。東京を代表する“せんべろ”酒場だ。そんな店でビール大瓶を頼むといくらか。おおよそ410円(以前は390円だった気がしたが、20円ほど値上がりした)だったと思う。それでも十分に安いが、「天満酒蔵」では大瓶がたったの350円で楽しめるというのである。その差をたかが60円と思うなかれ。ちりも積もれば山となるのである。事実、隣に座った常連客は、誇らしげに自らの定期券を見せてくれた。会社のある最寄り駅からこの店へ通うために通勤用とは別に作ったものだという。「とりあえず、今は1ヶ月分だけど、次買うときは半年分にせなあかん。家の近くで飲むより、ここへ通った方が安いんやからな」

これが大阪の庶民のパワー。ほかにも、関東煮が100円~、ポテサラが150円、はまちあら煮が180円などと、どの品書きにも破格値が並んでいるのだから、無理もない。大阪の“せんべろ”は強力だ。
 そんな庶民の強い味方となる酒場ではあるが、実は3年ほど前に閉店の危機に面した。理由は店主・岡正夫さんの体調が優れないためだった。女将の牧子さんが当時を振り返る。
「何を言っても首を縦に振らない頑固な主人が、『体調悪いなら店止めよか?』っていうたら『うん』て返事したんやから、そうとう体が辛かったんやろうね」 店は2013年の7月29日で閉店した。多くの客が肩を落としたことだろう。ただ、常連客からは「場所が変わってもええ、店が小さくなってもかまわへんから続けてや」という声が挙がっていたという。そんなこともあり、牧子さんは他所で細々と酒場を続ける心づもりだった。

そして、新たな物件も決まり、資金も用意し、あとは契約書にサインするだけ、という段階で、「待った」をかけた人がいた。それが長女の久美子さんだった。 「たくさんのお客さんの期待になんとか応えたい」
 小学生の頃からビール瓶の栓を抜くなどして店を手伝い、勤めに出ていた時も仕事を終えてからプライベートの時間を割いてまで店に立つことも多かった。このような境遇から店への愛着は幼い頃から強く生活の一部としてこの店は存在した。何よりこの店をこれまで支えてくれたのは、常連客だったこともよく知っている。そうして、閉店からおよそ40日がたった9月10日に「天満酒蔵」は再オープンを果たしたという訳である。

引退をした正夫さんは今も、自分でなければ仕入れられない魚を、中央市場から仕入れるなどして店を手伝っているという。女将の牧子さんも、再オープンを喜んだ。
「40日も店を閉めたのに、いざ再開したら常連さんも戻ってきてくれた。店もあと3年で創業50周年。それまでは店には立つけど、そこからは息子と娘に頑張ってもらわなね」
 そう話す牧子さんの隣には、長男の利信さんと久美子さん。カウンターに立つ姿も、飲んべえをあしらう技も随分と板についてきた。

ただの安いだけの酒場なら他にも数多ある。大阪の人情がこの店の歴史を支えてきたのだろう。常連客が誇らしげに定期券を見せてくれた姿は、そんなことを無言で訴えていたのだと今になって気づいた。
 そうだ、ホテルへ帰る前にもう一度、天神さんへ寄っていこう。「今宵もいい酒にありつけました」と、手を合わせねば。

今月、訪ねた店
天満酒蔵
大阪府大阪市北区天神橋5-7-28
11時~23時
不定休
大阪周辺で、もう一軒。
大衆酒場 酒の穴

「ザ・大阪」を堪能できる新世界エリアにある、昭和22年創業の老舗酒場。大衆的なアテと、どて煮や串カツといった大阪ならではの肴が楽しめる“せんべろ系”の酒場で、名物のひとつに八宝菜があるのもユニーク。営業は午前10時から。朝酒、昼酒にももってこい。

大阪府大阪市浪速区恵美須東2ー4ー21
06ー6631ー1854
10時~21時
木曜定休
いこい

阪急線梅田駅のお隣、中津駅の改札を出て徒歩十数秒。駅の高架下に今なお本物の昭和が息づく一軒がこちら。創業当時から変わらぬ内装に、カウンターの中でクツクツと火にかけられたどて焼きなど、昔から変わらぬ姿と味で飲んべえに愛されている。

大阪府大阪市北区中津3ー1ー30
06ー6371ー7820
12時~13時、17時~24時
日曜・祝日
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吉田類

よしだ・るい 高知県生まれの酒場詩人。酒場や旅をテーマに執筆活動を行うほか、イラストレーター&エッセイストとしても活躍。BS-TBS『吉田類の酒場放浪記』ほか、TVでも活躍。主な著書に『酒場歳時記』(NHK出版)、『東京立ち飲み案内』(メディア総合研究所)などがある。俳句愛好会『舟』を主宰。