たのしいお酒.jp

我らお酒にひと言あり 六酒仙、かく語りき

吉田類の居酒屋 各駅停車の旅

Vol.6 武蔵小山『牛太郎』

いい酒場は実のところ、どこの街にもあるものだ。
今夜、飲みたいお店が見つかっていないのだとしたら、
それはあなたが、いい酒場の見つけ方を知らないだけかも。
日本中の酒場を渡り歩いてきた吉田類さんが、
各駅停車で旅するように街々の名店を訪れ、飲み、食い、語らいながら、
街へ、店への愛を語ります。

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駅前から踏切がなくなり、東急目黒線の武蔵小山駅が地下化したのは2006年のこと。確かに、それまでと比べ、駅前はこざっぱりとし、渋滞緩和などの交通面でその恩恵は大きかっただろう。ただし、その当時、駅前から姿を消したのは踏切だけではなかった。界隈のどれだけの商店が閉店し、どれだけの酒場が常連に惜しまれながらも暖簾を畳んだことだろう。それから10年、その悲劇はまた繰り返されてしまうのだろうか?

今、武蔵小山駅周辺には、再開発の波が再び押し寄せている。駅前に地上144m、41階建てのビルが建設されようとしているのである。そして、今回、再開発の波にもまれたのは、都内一の長さを誇るアーケードであるパルム商店街の北側、界隈きっての飲み屋街「りゅえる」である。すでに工事は着々と進んでおり、駅前の名物店であった「鳥勇」はパルム商店街へ、せんべろの気鋭店として人気を博した晩杯屋も大通り沿いへ移転した。それだけではない。小路が入り組んだ横丁はなくなり、小さな酒場やスナックなども姿を消してしまっていた。僕が「パワー酒場」と名付けた、肝っ玉母さんが切り盛りする「江戸一」も2017年3月までの営業だという。「江戸一」に関しては、再開発からまぬがれる立地かもしれないが、今回の余波の影響が少なからずあったに違いない。

そんな昔ながらの武蔵小山を形作っていた店がなくなりゆく街にあって、僕を安心させてくれるのは、もはやこの酒場以外ないのかもしれない。そう、武蔵小山の絶大なる人気店「牛太郎」である。

昭和30年創業の老舗酒場は、まずその佇まいからしてイカかしている。昭和の香りがぷんぷんと漂う店内は、厨房を取り囲むコの字カウンターだけの造り。看板に認められた「働く人の酒場」の文字は、先代の時代から変わらぬ、この店のコンセプトだといっていい。

その真意といえば、もちろん安く、旨く、手っ取り早く酔えることだ。“せんべろ酒場”や“せんほろ酒場”などと騒がれるようになって久しいが、それを創業時代から変わらず地で行く酒場だ。酒場のガイドブックや特集があれば、必ずやこの店の名が挙がる。

▲コの字型のカウンターに並んだ、常連客の笑顔、笑顔。空いた席にするりと座って、まずはホッピーで乾杯。

「昔から変えたことなんか、ないんじゃないかなぁ」

店主の“城さん”こと、新井城介さんはそう笑う。もちろん、価格が昭和30年代と変わらないはずはなく、時代の変遷に合わせた多少の値上がりがある。が、それでも安さは図抜けているのだ。90円の「おしんこ」をはじめ、「もつ焼き」が1本100円、「ナムル」も100円、「ガツ酢」「煮込」「ポテサラ」などは120円。メニュー表で最も高価なつまみですら「煮込とうふ」の300円である。

▲焼き物の様子を見る城さん。耳に挟んだ鉛筆がいつものスタイル。

そんな訳だから、酒飲みが放っておくはずはない。そのいい証拠が、この店の営業時間である。表向きには14時30分とうたっているものの、常連客にとってそんなことはお構いなし。営業開始前だろうと、城さんが仕込みの真っ最中だろうと、裏の勝手口から、まさに“勝手に”店内へ入り込み、何食わぬ顔でカウンターに座るのである。それがひとり、ふたりならまだしも、営業前にカウンターのほとんどが埋まってしまうこともあるのがこの店の日常。暖簾を店内にしまったまま、軒先に掲げることなく営業を終えることも少なくないというのだから、こんな酒場は他に聞いたことがない。

▲「今日はもうおしまいだから、暖簾下げちゃって」城さんに言われて動くのは常連客たち。暖簾を店内にしまってからも、常連たちのゆったりとした酒時間は続く。

そんな超がつく繁盛店だからこそ、暗黙のルールもある。それが、オーダーは城さんやスタッフからの声かけがあるまでしばし待つこと。やきもきしても心配はいらない。厨房が一段落したところで、ちゃんと「はい、注文どうぞ」と声をかけられる。これが“おあずけ”されたようで、酒をいっそう旨くする妙味なのかもしれない。

そして、「牛太郎」といえば、名物の「とんちゃん」を忘れてはいけない。平たく言えば、豚のモツ炒め、もしくは大阪のどて焼きといった料理だが、これが実に酒に合うのである。豚モツの煮込みを鉄板の上で蒸し焼きにし、ニンニクやショウガ、ニラ、味噌などを合わせたタレを混ぜた一品は、濃厚な味わいが後をひく。120円という価格でありながら、ビールはもちろんホッピー、サワー、日本酒、ワインと、何と合わせても万能な懐の深さまである。やはり、この味だね。

「牛太郎」とはまさにこんな店なのだが、この店がただの「せんべろ酒場」とは一線を画す何かがあるのも事実。他の店よりどっちが安い、高いというのではない。長いこと続くデフレの影響や、せんべろブームで出来た酒場と違い、この店の根底にあるのは大衆酒場としての立ち位置なのだ。そんな店に奇跡的に昔ながらのいぶし銀の佇まいと、あっと驚くようなリーズナブルな価格が今なお残っているのである。

きっと価格だけを求めたら、安い酒場は他にもある。ただ、この店へ通う常連客のほとんどは、その部分を求めてやってきているのではない。コの字カウンターが作り出す店の独特の一体感、寡黙に厨房で働く城さんの人柄、とんちゃんの味に惚れ込み、今日もまた「牛太郎」へと足を運ぶのだ。

変わりゆく街の変わらぬ酒場。「牛太郎」は武蔵小山が誇る、昭和の酒場遺産だといっていい。

今月、訪ねた店
牛太郎
東京都品川区小山4-3-13
03-3781-2532
14時30分~20時、土曜・祝日12時00分~20時
日曜定休
武蔵小山周辺で、もう一軒。
酒縁 川島

創業40年になる、武蔵小山が誇る日本酒の名店。 常時100種以上が揃う日本酒にメニューリストはなく、酒量の異なる3種のコースを用意。店長の岩井さんに酒の好みなどを伝えれば、とっておきのお酒を差し出してくれる。厨房のマスターとママによる手作り料理も絶品!

東京都品川区小山4-10-4-102
03-3785-8806
18時30分~23時30分
無休
江戸一

武蔵小山駅前の横丁に残るカウンター酒場。名物はカウンターに並ぶ手作りの惣菜と、酒場の女将として天賦の才を持つママだ。常連客の多い店ながら、ママの接客にかかれば一見だろうとすんなりと溶け込める。
駅前の再開発により営業は2017年春まで。

東京都品川区小山3-13-5
03-3784-5082
17時~23時
不定休
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吉田類

よしだ・るい 高知県生まれの酒場詩人。酒場や旅をテーマに執筆活動を行うほか、イラストレーター&エッセイストとしても活躍。BS-TBS『吉田類の酒場放浪記』ほか、TVでも活躍。主な著書に『酒場歳時記』(NHK出版)、『東京立ち飲み案内』(メディア総合研究所)などがある。俳句愛好会『舟』を主宰。