たのしいお酒.jp

我らお酒にひと言あり 六酒仙、かく語りき

吉田類の居酒屋 各駅停車の旅

Vol.4 下北沢『酒場 柳』

いい酒場は実のところ、どこの街にもあるものだ。
今夜、飲みたいお店が見つかっていないのだとしたら、
それはあなたが、いい酒場の見つけ方を知らないだけかも。
日本中の酒場を渡り歩いてきた吉田類さんが、
各駅停車で旅するように街々の名店を訪れ、飲み、食い、語らいながら、
街へ、店への愛を語ります。

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下北沢と聞いた時、どんな街のイメージを思い浮かべるだろうか?

 音楽の街、それとも演劇の街だろうか。いずれにしろ、下北沢という街に誰もが共通して抱くイメージは、ここが“若者の街”であるということではないだろうか。表現としては余りにも大雑把な気もするが、下北沢は東京でも唯一といっていいほど、独特の空気感を持つ街である。その歴史を紐解けば、この街に若者が集まり始めたのは、1970年代も半ばになってから。1975年に「下北沢ロフト」ができると、街にはライブハウスが続々と誕生。1979年には下北沢音楽祭が開催されるなど、多くのミュージシャンを輩出してきた。「レディ・ジェーン」などのジャズバー、ロックバーが増え始めたのもちょうどこの頃だった。

一方、演劇の街として知られるようになったのは、1982年に俳優だった本多一夫が本多劇場をオープンさせたことがきっかけだ。その後、街には小劇場がいくつもでき、現在も下北沢には10以上の劇場が点在している。つまり、今の下北沢の街のイメージは、1970年代から1980年代にかけて定着していったもの。街の変遷とともにその文化は少しずつ色を変えながらも、今に受け継がれている。

自分もイラストレーターとして活動していた時には、よく下北沢を訪れたものだ。芝居を見に行くこともあったし、レコードを探しに来たりもした。笹塚や初台あたりに住んでいた時代には、酒を飲みに来たこともあった。ただ、そのなかでも、レコードを売りに来たことは、印象深く記憶に残っている。といっても、失敗談だが…。
当時はレコードといえば“量り売り”で売買されていた時代。お金が必要だった僕は、下北沢のとある店にレコードをまとめて売りに来た。けれど、“グラムあたりいくら”という量り売りのため、そのレコード自体にどんな価値があるかなんて関係なかった。実際、それらと引き替えに手にしたのは取るに足らない僅かなお金だった。けれど、後日、そのレコード店を訪れてびっくり。微々たる金額にしかならなかったそれらのレコードが1枚数千円で売られていたんだから、本当に残念だったのを覚えている。結構苦労して集めたレコードで、フランスの珍しいポップスだった。

そんな思い出話はさておき、酒場である。

▲出汁の匂いがどこからともなく香ってきたら、二つ並んだ提灯が目に入るころ。

ここ下北沢から紹介しておくべき店は、ある意味で実に下北沢らしからぬ、ある意味では下北沢らしい一軒だといえる。場所は駅南口から歩いて5分ほど。茶沢通りからのびるピュアロード新栄商店街の入り口あたりにある『酒場 柳』である。

軒先には文字通り、シンボリックな柳の木が植えられている。軒下には自在鉤が吊され、縄暖簾も実に味のある雰囲気を醸し出している。店内はカウンターがメインとなり、後ろに小上がりのある造り。こういう店は、もちろん大勢で訪れるところではない。話の分かる人と時間を分かち、盃を交わしたくなる。雑多な雰囲気漂う下北沢という街とのコントラスト。それがこの落ち着いた雰囲気をより色濃くしている。

▲写真上・おでんのある酒場は、やはりカウンターが特等席。写真下・まずは「りゅう」の店名入りのオリジナルグラスで、よく冷えたビールを流し込む。

ただし、特筆すべきは空間だけではなく、料理の質にもある。メニューに並ぶのは大衆酒場の定番ばかりで、奇をてらった肴はひとつもないが、どれも食べれば、丁寧な仕事ぶりがしっかりと分かる、品のいい料理ばかりだ。店主の若尾依治さんは和食ひと筋の料理人だと聞けば、なるほど、合点がいく。

「料理に関しては、こだわっていることはありません。普通のことを真っ当にやってお出しするだけです」  若尾さんは謙遜してそう笑う。ただし、その“普通”をしっかりとできる酒場がどれほどあるというのか。

▲写真上・店主の若尾依治さん。写真中・厨房の手さばきを覗き見るのも楽しい。写真下・ビールから日本酒に。松緑の純米酒が刺身によく合う。

和食には陰陽五行の考えがあり、包丁や皿、食材などのそれぞれが“陰”と“陽”に分けられる。刺身を例にごく簡単にいえば、包丁の陰の部分で切ったもの(そぎ切り)は、陽の皿(円い皿)に盛る。ここで書けば切りがないが、そういう陰と陽の関係性、バランスをしっかりと踏まえたうえで若尾さんは料理を仕立てるのである。

 そんな基本に忠実な料理だからこそ、どれを食べても旨いのは当然だ。カウンターの目の前で火にかけられたおでんもそう。鰹や昆布をベースに、アゴやサバ、イワシなどで出汁をとった汁は、関西風に仕立てられたもので、味にばらつきが出ぬよう、温度や塩分濃度の管理を徹底。「味を安定させるのに5年はかかった」というこだわりの味である。刺身なども同様で、角の立ったカンパチ、あるいは絶妙なサバの〆加減など、仕事のひとつひとつが素晴らしい。

▲おでんには、店や店主のルーツや信条が滲み出るから面白い。いくつか見繕ってもらって、熱々をホフホフいいながらいただく。

そんな酒場であるが、この店では誰もが上も下も関係なく、平等に飲めるのがいいではないか。これについては、若尾さんも下北沢の魅力だと話す。 「この店では、名刺で飲むことはできません。会社の社長が来ようと、横でフリーターが飲んでいようと同じ飲ん兵衛。誰もが平等なんです」

 そんな雰囲気が自然と成り立つのも、多くの文化人たちに愛されてきた下北沢らしさなのだろう。若者の街の、芯の通った大衆酒場。この街の精神を次世代に受け継ぐためにも、こうした酒場こそ長く愛され続けてほしいものだ。

今月、訪ねたお酒が楽しめる店
酒場 柳(りゅう)
東京都世田谷区北沢2-1-1
03-3411-1998
18時~24時
月曜定休
下北沢周辺で、もう一軒。
酒落亭

暖簾を潜れば、そこは江戸時代にタイムスリップしたかのような空間。
カウンターが奥へと続き、民芸品がそこかしこに飾られた店内は、それだけでグッと飲ん兵衛の心を惹きつける。
店は店主ひとりで切り盛りしており、じっくりと日本酒を楽しみたくなる。

東京都世田谷区梅丘1-21-11
03-3428-6248
18時~24時
日曜
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吉田類

よしだ・るい 高知県生まれの酒場詩人。酒場や旅をテーマに執筆活動を行うほか、イラストレーター&エッセイストとしても活躍。BS-TBS『吉田類の酒場放浪記』ほか、TVでも活躍。主な著書に『酒場歳時記』(NHK出版)、『東京立ち飲み案内』(メディア総合研究所)などがある。俳句愛好会『舟』を主宰。