たのしいお酒.jp

我らお酒にひと言あり 六酒仙、かく語りき

吉田類の居酒屋 各駅停車の旅

Vol.2 浅草『正ちゃん』

いい酒場は実のところ、どこの街にもあるものだ。
今夜、飲みたいお店が見つかっていないのだとしたら、
それはあなたが、いい酒場の見つけ方を知らないだけかも。
日本中の酒場を渡り歩いてきた吉田類さんが、
各駅停車で旅するように街々の名店を訪れ、飲み、食い、語らいながら、
街へ、店への愛を語ります。

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▲ホッピー通りでも、一際目立つ、こちらが本日の目的地。

「吉田類の居酒屋各駅停車の旅」第2回はここ浅草に立ち寄る。
 浅草といって、一般人が思い浮かべるのは何だろうか? 浅草寺、それとも浅草花屋敷、はたまた仲見世通りだろうか? しかし、酒飲みの発想はそうではない。酒飲みにとって浅草はホッピーの街であり、煮込みの街なのである。

浅草は浅草寺の西側、浅草六区通りと伝法院通りの交差点からリッチモンドホテル浅草の辺りまでは、公園本通り商店街といって20店以上の酒場が軒を連ねる飲み屋街を形成している。ホッピー通りといえばピンと来る人も多いのではないだろうか。この通りは、またの名を煮込み横丁ともいって、今では立派な浅草のメジャー観光スポットになっている。

その通りの賑わいといったら、平日だろうと休日だろうと関係ない。雷門や仲見世通りとまではいかないが昼間から多くの人で溢れ、通りを歩けば「一杯どうですか~」「煮込み美味しいよ!」などとあちらこちらから呼び込みの声がかかる。各店の軒下にはテーブルがせり出され、その賑わいはまるで縁日のよう。すぐそばには場外馬券売り場もあり、競馬が開催される土曜・日曜ともなれば、その活気はさらにヒートアップしていくのである。競馬新聞とにらめっこしながら酒を楽しむ競馬ファンがいる傍らで、若いカップルが煮込みをつつき合い、外国人観光客がホッピーで喉を鳴らす。そんな光景を目にすると、ホッピー通りはもはや飲んべえだけのための場所ではない。すっかり庶民の文化に浸透し、市民権を得たといえよう。

ただ、そんな飲み屋街もホッピー通りだの、煮込み横丁だのと注目されるようになり、今のようにいくつも店が並ぶようになったのも、ここ15年くらいの話ではないだろうか。僕が「牛煮込み」で知られる「正ちゃん」へと初めて来たころは、今ほど繁盛した通りではなかった。

▲のれんをくぐる瞬間は、何回やってもいいものだ。
▲ちょうど一席空いたカウンターに滑り込めた。早速、お茶割りではじめる。

ただ、この「正ちゃん」だけは当時から別格だった。軒先にテーブル席が出され、パラソルの下では牛煮込みの大鍋が火にかかり、昼間から酒を楽しむ酔客で賑わう。ホッピー通りの最古参の店は、よそとは年季の入り方が明らかに違っていた。なにせ、「正ちゃん」の創業は昭和26年。当時、この辺りには瓢箪池という池があり、その周りに建ち並ぶバラック屋台街の一軒として営業を始めた酒場なのである。

昭和26年と言えば終戦間もない時分。先の戦争で東京は焼け野原となったが、もちろん浅草も例外ではなかった。実は創業当初からの「正ちゃん」名物である煮込みが誕生したのには、そんな時代背景も関係している。
物資が不足し、食べるものも飲むものも満足に確保できない当時、比較的手軽に安価に入手できた食材が牛スジや豚モツだった。それらは煮込みにされ、この辺りで多く食べられるようになったという。「正ちゃん」も同様だった。先代が考案した「牛煮込み」は今に受け継がれ、いつしか浅草の「煮込みの元祖」と言われるようになったのである。

ついでに言えば、この通りの象徴でもあるホッピーという飲み物が浅草で親しまれるようになったのも戦後のこと。庶民にとってビールが高嶺の花だった時代、巷には流行ったのは質の悪い密造酒。そんな折に登場したのが、本物のホップを使って作られるビアテイスト飲料のホッピーだった。粗悪な酒もホッピーで割れば美味しく飲めるとあって、ホッピーの人気は少しずつ世の中に広まっていく。そんななか、これほどまでにホッピーが浅草に根付いたのはなぜか。実は浅草にはホッピービバレッジ(ホッピーの製造会社)の創業者の弟がいて、積極的にホッピーを売り歩いたそうなのである。

▲こちらが名物の牛煮込み。あつあつを、ホフホフ言いながら頬張る。

さて、話を戻そう。「正ちゃん」に来たのなら、その「牛煮込み」から注文したい。大鍋からぷ~んと醤油の甘い香りが立ちこめ、それだけで一杯やれそうなほどだ。何も特別な何かが入るわけではない。牛スジとコンニャク、豆腐、ネギなどの具材を、醤油、ザラメ、酒を合わせて煮込んでいくだけだ。それなのに、あつあつをひと口頬張れば、トロトロに煮込まれたスジ肉が甘辛の汁をたっぷりと吸い込み、酒との相性は申し分なし。煮込みを頬張っては酒を流し込み、そしてまた煮込みへと食らいつく。一味唐辛子をドバッとかけても、キリッと味がシャープになって旨い。常連の中には、これをご飯にかけてもらい“牛めし”として楽しむ客もいる。“とりあえず”の逸品は、格好の“〆飯”にも早変わりするのである。

▲ママによるお手製の惣菜。どれをいただこうか、いつも迷ってしまう。

そういうと、「牛煮込み」だけの店と思われがちだがそうではない。カウンターに並んだ、ママお手製の惣菜も抜群に旨い。特に、野菜やツブ貝などの煮物系は絶品なので、「牛煮込み」とホッピーで人心地がついたら、ぜひ惣菜もオーダーしてほしい。

▲大将の笑顔に癒やされる。大将もホッピー片手に上機嫌。
▲酒の席では、乾杯から、自然とコミュニケーションがはじまる。

ところで、「正ちゃん」へ久しぶりに訪れたら、店が幾分綺麗になっていて驚いた。どうやら1年ほど前に改装したそうで、その時はちょっとした閉店騒動にもなったそう。ただ、軒先に用意されたテーブル席は健在で、厨房を囲むカウンターにも、昔と変わらず常連客が肩を寄せ合っている。やはり、ここはバラックの屋台街からスタートした店。このくらいの雰囲気がやっぱりちょうどいい。

今月、訪ねた店
正ちゃん
東京都台東区浅草2-7-13
03-3841-3673
営業時間12時頃~22時(土日は9時~20時)
月曜・火曜休
浅草周辺で、もう一軒。
捕鯨船

ビートたけしの名曲『浅草キッド』の歌詞に登場する“くじら屋”とはこの店のこと。
「デン助劇団」の元メンバーだった店主が営む浅草の名店として知られる。名物は味噌仕立ての牛煮込みと鯨料理。梅エキスが溶け込むチューハイとともに合わせたい。

東京都台東区浅草2-4-3
03-3844-9114
営業時間17時~22時(土日祝は16時より営業)
木曜休
神谷バー

住所は浅草1-1-1。明治13年創業の日本に初めてできたバーとしても知られる、浅草を象徴する一軒。名物は、創業当時から多くの文豪たちにも愛されてきたデンキブラン。仄かな甘味とピリリと刺激的な舌触りに、往時のロマンが感じられる。

東京都台東区浅草1-1-1
03-3841-5400
営業時間11時30分~22時
火曜休
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吉田類

よしだ・るい 高知県生まれの酒場詩人。酒場や旅をテーマに執筆活動を行うほか、イラストレーター&エッセイストとしても活躍。BS-TBS『吉田類の酒場放浪記』ほか、TVでも活躍。主な著書に『酒場歳時記』(NHK出版)、『東京立ち飲み案内』(メディア総合研究所)などがある。俳句愛好会『舟』を主宰。